考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

「鋼の錬金術師」がおもしろい。

 

読んだことがある人からすれば、あたりまえすぎるタイトルだと思うのだけど、この漫画、自分は92年生まれなので世代的にはど真ん中なのだけど、ちゃんと読んだことがなくて、時間ができたのと、そもそも関心を持ったきっかけもあって、ゲオで借りてきて1から読み始めた。

 

 

ダークファンタジーの代表格らしいこの漫画、僕は子どもの頃から、死とか戦争を連想させる描写が多くて時々グロテスクなこういったジャンルが少し苦手で、あまり通ってこなかった。

 

ただ、ストーリーをある程度抑えておきたい気持ちがあって、いつだったか、1巻と、7巻くらいと、最終巻だけ読むという、めちゃくちゃ雑な読み方をしたことがあって、それでも最終巻は泣けてきて、すげえなこの漫画、と思った記憶がある。

 

 

今回1~5巻をちゃんと読んで、続きも全部読もうとしているんだけど、めちゃくちゃおもしろい。世界観の設定だったり、感情移入させるキャラクターのヒストリーやそれぞれの性格など、本当によくできた漫画で、作者の荒川弘さん、これを20代の頃から連載し始めたというからすごい。

 

 

この漫画について話してるpodcastないかな~と思ってspotifyで検索して調べたら、

見つかった。しかも話している2人は自分とだいたい同世代(90年代前半生まれ)らしい。

 

 

podcastって、今のアラサーから40代くらいに配信者が多いのかな。

ゆとたわとかもそうだけど、興味のあるキーワードで検索したら、同世代の人のおもしろい配信が結構な頻度で見つかって楽しい。

 

open.spotify.com

 

part2は、がっつりネタバレ?してそうな雰囲気なので、part1だけ聞いて、続きは全巻読み終えてから聞こうと思う。

 

 

 

時間あるうちに、名作漫画って呼ばれるものは、押さえておきたいなー。

大人になってから読むと、構成のすごさとか、何を参考に(歴史的事実etc)ストーリーを作っているのかとか、いろいろな角度から感じたり、考えたりしながら読めるのもおもしろい。

 

あとは、漫画ではないけど、これから文章をとある場所に連載させていただく予定があるので、その参考にもなるかもしれないな、などと思いながら読んでいる。

 

子どもの頃、漫画禁止のスパルタ家庭で育ったけど、

初読のドキドキ感と学びを同時に得られる贅沢が楽しめるという点では、

大人になって初めて読むのも、悪くないかもしれない。

 

 

大人が読んでも、素晴らしい漫画だと思います。

 

もちろん人によって、響く響かないはあると思うけれど、

読んだことないっていう人がいたら、ぜひ。笑

 

 

www.ganganonline.com

ジェノサイドの春

 

近所の川辺の図書館前のエリアでは、桜の季節に合わせてイベントをしていて、たくさんの人が訪れている。

 

少しそのあたりを散歩してから、PCに向かって作業をする。

明日から忙しい一週間が始まるので、少しその準備をしておきたい。

 

その前に、毎日投稿すると言っておいてできていない、だけど50日で50本は投稿するぞ、と思っているブログを。

 

負債が1たまっている。

今日あたり、2本書きたいな。

 

 

 

 

 

もともと桜が満開の季節は心がざわついて苦手だから、イベントに参加する人たちの存在を感じつつ、少し離れたところでいつも通り作業をするくらいが僕はちょうどいいし、家族もいないし、花見に出かけるような友人も近所にはいないので静かにしている。

 

 

www.youtube.com

 

 

ただ、花見をしている客を見て、平和だなと。

たまたま平和な国と時代で良かったなと思うのだ。

 

こんな華やかな日にも、世界では人は殺されている。

 

 

 

だからって、楽しいことを自粛した方がいいなんてみじんも思わないし、むしろ平和な日々にこそ、その幸せをしっかりと享受した方がいいと思う。

 

少なくとも今の日本では、僕の知る限り民族の虐殺は(かろうじて?)起きていない。

 

もちろん差別はたくさんあるし、能登の人たちは今も大変な思いをしているし、生活保護費を行政に与えられずに苦しんでいた人もいるし、家や施設などいろんな場所で虐待を受けている人も、長期間、自分の希望しない入院から逃れられずに、窮屈な思いをしている人もいるんだけど、それでも、日本は比較的平和だ。

 

 

それでも自分はどこか、本能的に、苦しい境遇にいる人のことを見ておかないといけないと思うところがある。

 

 

最近は、ガザに暮らす医師が書いた「それでも、わたしは憎まない」という本が気になって図書館で予約をした。

 

www.akishobo.com

 

 

たぶん、世界は不条理で、理不尽にあふれた場所だということを、忘れたくないという思いと、苦しい状況の人の語りに触れて、その哲学を知っておきたい、それが、まったく違う状況だとしても、しんどいときの自分を助けてくれるだろうという思いがあるのだと思う。

 

 

生きていたら、いつふりかかってくるかもしれない苦境に備えて、

いま苦しんでいる人たちに思いを馳せて、できれば少しでも何か状況がマシになることができないか、考えたいのだと思う。

 

できれば誰にとっても平和な世界で生きたいと思うし、苦しい状況の人たちが支え合える世の中になってほしいと願うから、社会の一部として自分も、そういう行動がとれたらいいなと願う。

 

 

 

 

桜が苦手なんじゃなくて、桜疲れまでの閾値が低いだけだったのかもしれない。

宿直明け。

 

花見客で混んでいるであろう道を避けて、迂回して帰宅した。

 

僕は満開の桜がずらりと並んでいる景色があんまり得意じゃない。

なのに、桜の名所でもある川の近所に住んでいるものだから、この時期は毎年しんどくて、桜があまり咲いていない山に逃げていた年もある。

 

kikikiron.hatenablog.com

 

それに、人混みも苦手だから、友人と連れ立って花見に行くようなことは基本的にあまりしない。

たまたま友達と公園を散歩していて、桜の近くを通る、とかはあるけれど。

 

 

 

桜が苦手だと思っていた。

満開の桜が一面に並ぶ様子は、心がふわふわするのを通り越して、ざわざわする。

 

だけど、よく考えてみたら、葉桜は比較的好きだし、蕾が出てきたころとか、咲き始めの頃の桜などは、嫌いじゃないどころか、わりと好感を持って見ている。

 

苦手なのは桜ばかりの景色、あるいは、そんな満開の桜を多くの人がインスタなどのSNSにアップする、この時期なのかもしれない。

 

 

桜ばかり見ていて、疲れて来たりすることは、もしかしたら他の人にもあるのかもしれない。祭とかもそうだけど、華やかで楽しいものも、ずっと続くと疲れてくると言うから、たとえば、桜の満開が1か月続くとしたら、多くの人がしんどくなるかもしれない。

 

満開の時期が数日しかないから、日本人の多くは、疲れることなく毎年桜を見たいと思えるのかもしれない。

 

としたら、桜疲れに達するライン(閾値)が、他の人よりも自分は低いだけなのかもしれない。

人よりすぐに桜に疲れてしまうから、桜を苦手に感じてしまうんだ。

満開の桜も、たとえば、広い空間に1本だけ咲いているのは良いなあと感じられて、ただ、それが一面に並ぶと、しんどい。そういうことだ。量の問題だったのだ。

 

人生32年目にして、ようやく解像度をあげて自分の桜の苦手さを理解することができた気がする。

 

満開の時期に、桜を感じる時間を減らせばいいんだ。桜のない場所で過ごす時間を長くすればいい。

 

 

ということを考えながらサイクリングしていて、

 

見つけました。

 

 

桜があんまり見えない野外スポット。

 

 

 

 

平城宮跡の、みやと通りの西側のスポット。

 

ここの東側には、桜がたくさん見えるんだけど、

西側を向けば、ほとんど桜が見えないのです。

 

だだっ広い、原っぱ。

 

緑。

 

ここ、この季節、風がとても心地よくて、いいスポットだった。

 

春にしんどくなったら、来年も奈良に住んでいたら、ここに来よう。

 

桜が満開の季節の、安全基地を見つけられて、ほっとした1日でした。