考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

政府がしんどい。

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今日はわりと余裕のある日だったので、

共同親権の件の情報を少し集めていた。

 

www.change.org

 

note.com

 

 

自分は現場の人間ではないし弁護士でもないので、詳しいことはわからないのだけど、

現場の人間がこれだけ声をあげているということはそれだけリスクが大きい法案なんだろうということと、

賛成派の意見も読んだけど一方的過ぎて納得できなかったこと、

共同親権より、離婚後の不払い養育費の建て替えを国がやることが先じゃないかと思うこと、

子どもの人権が軽視されていて、法的に男女不平等なこの国で、ヨーロッパがそうしてるからって追従するのは危険と思ったこと、

 

などの理由から、反対の署名をした。

 

 

衆院で可決される当日になってこれだけSNSで拡散され、1日で5万人もが署名したとなると、まあ、いかに急な採決だったのかというのが想像できる。

 

そして、マスコミも相当政府の言いなりになっていたんだろうなと。

報じなさが、あからさますぎる。

マスコミ内部の人間といくつか繋がりがあるので、不自由さはわかるのだけど、

これ以上国民に絶望されてどうするんだと、怒りたい気にもなる。

 

 

選択的夫婦別姓はいつまでも採用されず、こんな法案がすぐに通るのはさすがに国会議員が国民の代表をしてるとはいいがたい。

 

やりたい放題にもほどがあるし、本当に近くの人たちの声しか聴いていないんだなと。

国のルールを作ることに、もっと、国民がしっかり関与できることが必要だ。

 

署名も、デモも無視されたらしまいなわけで。

 

国民の代表をしていない人に対して、税金を払う筋合いはあるのだろうか、と思ってしまう。ただの搾取じゃないですか。と思ってしまう。

 

 

ちょっと、しんどいなって思って、

ぼやきました。スミマセン。

 

 

署名、1000万人くらい、あつまらないかな。

それくらい集まったら、マスコミも無視できないだろうし。

 

スマホだけで署名できるのって、昔の感覚からしたらすごいことなんだよ。

もっとみんな、意志表明していった方がいいと思う。

いくら署名したってお金が減るわけでもないし。

 

 

納税よりも、国を腐らせずに、マシな社会にしていく働きかけの方が、

国民の義務なんじゃないかって個人的には思います。

 

 

すみません、本当にただのぼやきです。

 

消しはしないけど。

 

 

www.change.org

 

 

 

ボーナスで時間を買っている感覚について。

 

 

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ついでにもう1本。

 

 

去年のちょうど今頃に僕は鬱になって休職、その後に退職をした。

それ以降、いろいろ制度を利用したり、宿直などの仕事をしたりしつつ、足りない部分は貯金を崩して生きてきた。

 

 

低賃金の福士職といえど、正社員3年目くらいから処遇改善加算のおかげである程度のボーナスが出るようになって、その額をなるべくまるまる貯金するようにしてきた。

 

 

お金のかかる趣味はそんなにないし、車だって持っていない。

いつか働けなくなってもいいようにと、貯金しておいたおかげで、もうたいぶ減ってしまってはいるけれど、フルタイムで働かずに、時間に余裕をもって、ある程度やりたいことをする期間を作れている。

 

 

自分はボーナスで、ものとか経験ではなく、時間を買っているんだな、という感覚をずっと持ってきた。

 

「余裕のある日々」というのは、僕にとって何よりの贅沢なのかもしれない。

 

ブランド物や、海外旅行だったり、家とか、車とか、大きな買い物をするよりも(海外旅行は過去に何度かしてきたけれど、安宿と格安航空券を利用した貧乏旅行だ)、貯金を生活費に補填することで、労働時間がそんなに多くない日々を生み出すことが、自分にとっては結構いいお金の使い方だったなと思う。

 

本を図書館で借りて読んだり、自炊をしたり、ウクレレを弾いたり、そんなにお金のかからない趣味をいくつか持っている人間にとっては、こういう日々が長く持てることがありがたい。

 

 

これからまた、しっかり働く期間に入るわけだけど、また数年後の自分に時間をプレゼントするために、節約して、貯蓄していきたいと思っている。

生きる意味とか、死なない理由とか。

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気付けば、ブログ負債(毎日投稿すると言いながら書けてない日の数)が3日たまっている。

 

これ以上たまるとしんどいので、とりあえず今日は1本でも良いから書く。

 

 

 

今日は、とある本屋さんの店主の方のインタビュー(仕事)と、

Podcast収録(趣味)と、podcast収録に向けた読書、友人との電話など。

 

よく喋った日だった。

 

今は、宿直と訪問介護ヘルパーの仕事をしつつ、別の仕事の面接の結果待ちで、

ダメだったらまた違うところで夜勤の仕事を増やそうと思っている。

早く、貯金を崩さないでいい生活に戻りたい。

 

 

とはいえ、いろいろと読書や勉強は続けたいので、フルタイムで働くのはできればやめたい。夜勤週3プラス、日中の仕事を少し、くらいがベストかもしれない。

 

 

 

さて。

 

 

書くことが特にないのだけれど。

 

 

 

今日収録したpodcastで、「いつか人は死ぬのにどうして生きているんだろう」といった”虚無感”について少し話していた。

 

 

その話をしてくれた人は、大人になるまで大きな挫折や喪失体験はあまりしてこなかったらしい。

逆に自分は、親や友人や後輩を自死で亡くした経験があったりして、死について考えることが多かったから、逆に、限りある生をなるだけ充実したものにしたいと思えているところがあって、なんだか不思議だなあと思う。

 

 

いつか失うことでも、その瞬間の喜びは尊いものだと思う。

 

だけどそういった感覚とか、生きる意味なんてものは、人それぞれが、実感としてしっくりくるかどうかでしかなくて。

 

僕が言葉で伝えたところでたいした意味はないのだろうなとも思う。

 

 

感覚は人それぞれで、悩ましい時期もたくさんあって良いんだよな。

 

苦悩の時期がその人の魅力を作ることだってあるわけで。

 

死なない程度に、好きなだけ悩んで生きられる社会は、きっと豊かな社会だ。