考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

生きる意味とか、死なない理由とか。

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気付けば、ブログ負債(毎日投稿すると言いながら書けてない日の数)が3日たまっている。

 

これ以上たまるとしんどいので、とりあえず今日は1本でも良いから書く。

 

 

 

今日は、とある本屋さんの店主の方のインタビュー(仕事)と、

Podcast収録(趣味)と、podcast収録に向けた読書、友人との電話など。

 

よく喋った日だった。

 

今は、宿直と訪問介護ヘルパーの仕事をしつつ、別の仕事の面接の結果待ちで、

ダメだったらまた違うところで夜勤の仕事を増やそうと思っている。

早く、貯金を崩さないでいい生活に戻りたい。

 

 

とはいえ、いろいろと読書や勉強は続けたいので、フルタイムで働くのはできればやめたい。夜勤週3プラス、日中の仕事を少し、くらいがベストかもしれない。

 

 

 

さて。

 

 

書くことが特にないのだけれど。

 

 

 

今日収録したpodcastで、「いつか人は死ぬのにどうして生きているんだろう」といった”虚無感”について少し話していた。

 

 

その話をしてくれた人は、大人になるまで大きな挫折や喪失体験はあまりしてこなかったらしい。

逆に自分は、親や友人や後輩を自死で亡くした経験があったりして、死について考えることが多かったから、逆に、限りある生をなるだけ充実したものにしたいと思えているところがあって、なんだか不思議だなあと思う。

 

 

いつか失うことでも、その瞬間の喜びは尊いものだと思う。

 

だけどそういった感覚とか、生きる意味なんてものは、人それぞれが、実感としてしっくりくるかどうかでしかなくて。

 

僕が言葉で伝えたところでたいした意味はないのだろうなとも思う。

 

 

感覚は人それぞれで、悩ましい時期もたくさんあって良いんだよな。

 

苦悩の時期がその人の魅力を作ることだってあるわけで。

 

死なない程度に、好きなだけ悩んで生きられる社会は、きっと豊かな社会だ。