考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

15/50 読む、聞く、考える時間。

読んでくださってありがとうございます。

 

12月14日から2月1日まで50日間連続で、noteかはてなブログに500~2000字程度の文章を投稿することにしました。内容によって、どちらに投稿するかを決めています。

 

 

今日は午後に予定が2件あるので午前中に少し仕事を勧めたり、podcastyoutubeを聞きながら、散歩がてらGEOで借りたDVDや漫画を返しにいくなどする。

 

今月、お金に関する仕事は友人から前にもらっていた執筆関係の仕事と、宿直の仕事4回しかしていない。人と会う予定がわりとあったり、免許更新とか、歯医者とか、手続き関係の用事があったのと、あとはpodcast収録などもわりとしていたんだけど、そんなに働いていなくても暇な感覚があまりなかった。

 

それってなんでだろうと考えると、お金の発生しないもろもろの作業を残していたというのに加えて、本を読んだり、podcast聞いたり、SNSやニュースを見ながら、いろんなことを考えたりすることに時間を使ってたからだろうなと、ふと歩きながら思った。

 

 

これについては年内にnoteを書くつもりなんだけど、僕の家の近所にはとても素晴らしい図書館がある。関心のある分野について、本を借りて読んでは返すのを繰り返している。履歴がないからわからないけど、たぶん150冊くらいは1年で借りていると思う。

 

もちろん全部を読んでるわけじゃないんだけど、ニュースや自分の生活で起きたことに関連するテーマ(たとえば今年だったらパレスチナ問題とか、トラウマに関することや、労働問題)についてじっくり本を読んだり、youtubepodcastも含めていろんなメディアで情報を集めて自分なりに考えたりする時間がながい。

 

 

情報って、本にせよpodcastにせよyoutubeにせよ、発信する側に価値があると思われがちなところがあるけれど、無数にあるコンテンツのどれひとつとっても、受け取り手がいないと価値をもたらさないんだよな。

 

だからもし、皆があまりに多忙でテレビを見ることができなくなったらテレビの価値がなくなるわけだし、本も、podcastも、youtubeも、読者やリスナーや視聴者がいるから成り立っている。

 

 

自分の生活に直接は関係がなくても大事な情報ってほんとにたくさんあるし、ただ知るとか受け取るだけじゃなくて、考えたり、誰かと議論したり、必要と思ったらときにはアクションを起こすことも大事なわけで。

 

世間で起きている出来事に応答する形で、自分の経験や専門分野から世のためになりそうなことを発信することも、価値になる。

 

そう思うと、余暇時間というか、いろんなものを吸収して考えてアウトプットできるような余白を持っておくことって悪くないよなと。

 

一生懸命働いている状態とてんびんにかけて評価できるようなものじゃないよなと感じた。

 

 

もちろん、必要なときはお金を稼いだりしないといけないんだけどね。

ある程度低コストで生きられる状態にして、節約して貯金も作っておけば「あんまり働かない状態」は多少は維持できるし、忙しすぎる現代社会ではそういう時間はむしろ、意識して作った方がいいことだったりもするのかなあと。

 

あえて作るのってめっちゃむずそうだったけど。

自分は休職、退職するしかない状態になって、ある意味ラッキーだったなと思う。

 

人間万事塞翁が馬だよなあと、つくづく感じる。

 

 

今日は暖かい日だ。

そろそろ昼食をとって出かけよう。