考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

このブログを通してやりたかったこと。1.きっかけ

 

昨日はイタリアに精通している先輩と梅田で飲んできました。

その先輩は僕とそんなに年が変わらないのですが、有名な雑誌やCMのモデルをやっていたり、ある会社の社長から声がかかって役員になることが決まったり、カジノのディーラーズスクールに通っていたりと、僕の知らない世界をいろいろ知っているスケールの大きな人で、何よりもすごくマッチョです。

 

魚料理をおいしくいただきながら、イタリアの危ない場所とか(ヴェネチアでも場所によっては銃社会があるとか)、おもしろい場所などを教えてもらいました。日本人はイタリアではわりとなめられるそうですが、その先輩は19歳でイタリアに留学していた時に、差別語をはいてきた飲食店のイタリア人の首根っこをつかんで大阪弁で罵倒したそうです。

驚いたことに、そのあとその店のお酒をただで飲めるようになったのだとか。(笑)

 

日本人のはっきりものを言わないところをイタリア人は好まないので、感情をぶちまけたのが逆に好まれたようですね。

自分には初対面の外国人の首根っこをつかむ勇気はないけれど、参考になるエピソードです(笑)

 

 

ほかにも世界情勢のことや、日本がヨーロッパに比べて遅れている部分や弱い部分、雇われない生き方など、いろんな話を聞き、勉強になったと同時に、もっと資本主義のこと勉強せんとなあと思いました、ほんとに。ちなみにその先輩にすすめられた本のひとつがこれ。

 

著者が自分の大学の先生で、この人の授業をちょっとだけ受講してやめたことがあったので笑ってしまいました。

 

 

 

上の本はまだ読んでいないので勝手な予想なのですが、

経済の拡張が幸福を生み出さないことを書いていそうな点で、座右の書になりつつある本「ハーバード流 幸せになる技術」と関連していそうなので(上が国家、下が個人に焦点を当てて書いているのだと思います。)、読んでみようかなあと思います。

 

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筋トレが大好きなその先輩の影響もあり、早速今朝大学のトレーニングルームで筋トレをしてきて、その疲れのせいか今ちょっと眠いのですが、ブログを書こうと思います。

 

 

 

 

自分の価値観と信念を再(?)構築していくこと

これが、はてなブログを通して僕がやりたかったこと、これからやろうと思っていることなんです。

 

というのも、3か月前まで、明確な信念や正しいと思うことが僕にはあまりありませんでした。いきなり書くと抽象的すぎてなんの話やねんって感じですが。

 

これまでの人生のいろんな経験の中で、その時々の自分の価値観を崩されることが多くて、「どんなことにも良い面と悪い面があるから、絶対的に正しいことなんて何もないんだ!」っていうちょっとしたニヒリズムに陥っていたんですね。これは逆に言うと、どういう考え方もある程度受け入れられるということでもあります。良くも悪くも。

 

ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、: Nihilism: Nihilismus)とは、この世界、特に過去および現在における人間存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。

 wikiより。

 

 人間の存在自体、地球にとっては害を及ぼすことも多いんだから、人を救う活動ですら、必ずしも正しいとは言えないんじゃないか、なんて頭では思っていました。

かといって、人道主義的な行動を否定するわけではないし、理不尽に奪われそうな命を救う活動に感銘を受けたり、そういった職業やボランティア活動には共感するものが多かったんですけどね。

 

 僕自身も塾にいけない家庭の子供に無償で勉強を教えるボランティア活動を去年から一年強、今も続けています。

 ただ、自分のやっていることを正義だとか、正しいことと思うのは間違いだっていう気持ちが強かったんです。今やっているボランティアだって、受験勉強を教えることがその子の幸せにつながるかどうかはわからないし、大学生が教えることで、自分も大学へ行きたいと経済的に豊かでない家庭の子供が思ったとしたら、それは結果的にその子や親を苦しませるかもしれない。そもそも大学に行くことがその人の人生を本当に豊かにするかもわからないですしね。(そんなふうに、自分の活動に疑問を持つことは大切だと今でも思っています。)

 

 

 3か月前まではそれでよかったんです。正しいかどうかにかかわらず、自分が共感できると思える仕事や活動をすればいいと思っていました。多少の迷いはありましたが、僕は臨床心理士になるつもりでいたし、それなりに大学生活も楽しめていました。

 

 3か月前から、自分にとってものすごく苦しいことが立て続けに起こりました。ここで詳しく書くことはしませんが、おおざっぱに書くと家族の二人が精神面でかなり荒れ、警察のお世話になり、精神科に入院するというものでした。その過程で、自分の考えを揺るがされるようなことがたくさんありました。

 

 それと同時に卒論のプレッシャーや、もろもろの騒動が起きる直前に下宿をやめて大学まで二時間の実家からの通いに変更していたことなども重なって、相当にストレスフルな時期が続いたんです。

 いろんな人の助けを借りて、この時期をなんとか乗り切ることができたのですが、これを機に、臨床心理士を目指すことをやめて自分の進路について考え直すようになりました。

 

 それと同時に、ぶれない信念だったり、行動を決めるための価値基準をきちんと持ってないと、生きていくことがすごくしんどいことに気づいたんです。調子のいいときはいいんだけど、つらい環境にいるときに自分というものを維持するためには、何を大事にして、どういう信念のもとに生きているのかっていうものをきちんと作って、それをわかって、守っていかないといけない。

 

そう思いました。

 

当たり前のことなのかもしれないですけど、当時の僕にはそれができていなかった。自分が本当に正しいと思えることをほとんど何も持っていなかった。もしかしたら持っていたのかもしれないけれど、それをこの3か月間、守ることができなかった。

 

 

後期半年間、休学という形をとらせてもらい(まだ夏休みですが)、進路について考える余裕ができたので、どういう道を歩もうかと考えるために、自分はこの人生で大事にしていこうと思うものを、今どのように考えているか、考えていこうとしているかを、少しずつ書いていこうと思っています。

 

書くことによって、明確にしていけると思うので。

 

 

今日はその動機を書くにとどめましたが、

これからは、“キリスト教”、“心理学”の知識、上にも書きましたが、“「ハーバード流 幸せになる技術」”の内容、前期に卒論で扱うつもりでいた“過剰適応”などのテーマを中心に、少しずつ書いていこうと思います。

 

 ちょっと堅苦しい感じになりそうなので、軽めの記事と交互に書いていくつもりです(笑)