「失敗する権利を使った。」と考えてみる
6月から資格取得のために仕事を週4日勤務にしてもらっていて、その間、精神保健福祉士の勉強をする以外に、以前、コロナ過になる前に精神科病院への訪問ボランティアをしていたNPO大阪精神医療人権センターで、お手伝いをしながら学ばせてもらおうと思っている。
人権センター関連のとあるインタビューを読んでいて、「患者さんには、失敗する権利があるんですよ」というような言葉が出てきて、「失敗する権利」ってワード、失敗したあとで自分を慰めるのにも使えるな、とふと思った。
障害のある人の活動を支援している「たんぽぽの家」という法人には、たんぽぽ憲法というのがあって、8か条のうちのひとつに「その人が挑戦し、あやまちをおかすことができる。」というものがある。
何かに挑戦したり、やったことないことをやるときには失敗は付き物で、だけど失敗するからこそ学びがある。それは当然のことだけど、失敗したあとにそのことを意識することは、自分は少なかったな。
失敗して、よくないというかしんどい状況に陥ったときに、「失敗する権利を使ったんだ」って思って、そこから学ぼうと思えたら、あんまり落ち込んだりしなくて済むなあと、ふと感じたので、メモ。
「人権侵害」という言葉の重さ
NPO大阪精神医療人権センターは、精神科病院のなかで起きている人権侵害を社会に訴えて、現状を変えていこうとしている。
人権センターの他にも、たとえば入管とか、児童相談所の一時保護所とか、紛争中の人たちが受けている人権侵害に対して抗っていこうとする団体はたくさんある。
すごく大事なんだけど、人権侵害、というワードから受ける重さが、その問題に新たに携わろうと思う人の間口を狭めてしまっているような気がしてならない。もっとポジティブな言葉に置き換えられないだろうか。
人権侵害を防ぐ
→人権を大切にする。守る。
人権って言葉の印象がそもそも硬すぎるのだろうか。
道徳の授業とか、役所のポスターに書かれてる標語とかで見ることが多かったから?
もしかしたら僕らより下の世代は違った印象を持っていたりするのかな。
人権って概念じたいフランス革命で出てきた人工物で(あらゆることば人工物か)、それを何かに置き換えようとしても難しいな。「人権」⇒「人として大事にされたい思い」的な感じかな。笑
まあ、「人権侵害」っていう重めのワードがあって、深刻なことだと思えるからこそ、責任を持って取り組める、ということもあるんだろうな。一長一短なのかもしれない。
うーん。
悩んでもどうしようもないけど悩ましい問題だ。笑
何かアイデアや思ったことあればコメントください~