考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

環状島の外の人に関心を持ってもらうために、内海の海岸線にいる人の語りをどこに置けばいいか、という話。

 

 

※虐待についての話をします。

 

 

たまたま買った本の執筆者の人の文章が気になり、その方のtwitterをフォローしていた。

その人は母親やお兄さんに暴力を受けて育ったらしい。

 

 

 

その人の文章によると、兄弟から受ける凄惨な暴力から子供を守る法律は、この国には存在していないらしい。

今日公開された文春オンラインの記事には、その人の子どもの頃からの壮絶な経験が生々しく描かれていた。

 

 

 

今もPTSDの症状があるらしいし、その人の元に、現在同様の暴力を受けている12歳の子からのSOSが届いた話も載っていた。

 

 

 

決して少なくない話なんだと思うし、社会として動くべき問題なんだと思う。

 

 

 

 

こうしたショッキングな出来事を知ったときに、僕はすぐSNSなどでシェアしようとしてしまう。だけど、唐突にさらされるそういった情報は、慣れていない人には嫌悪感しか与えない、ということもあるのかもしれない。

 

 

 

 

僕は自分が幼少期に虐待を見て育って、誰か、外の大人の人たちに、この状況を知ってほしいとずっと思っていた。

 

 

 

だから、似た苦しみを経験した、している人の語りは放っておけなくて、自分に何ができるわけではなくても、とにかく聞かないと、その語りに、少なくとも自分自身は、晒されないといけないと感じてしまう。

 

 

 

そして、晒されたこと、そこで知ったことは、どうにか多くの人に知らせて、世論として動いてほしいなと願う。

 

 

 

だけど、社会として動くために、多くの人に関与してもらうために、ただその語りをSNSでシェアするだけでいいんだろうか。

 

 

 

 

むしろ、周りの人の気持ちをもっと配慮して、適切な場所に丁寧に置く、届けるべき人のところに届ける、ということを意識しないといけないんじゃないか、ということを思った。

 

 

 

 

 

 

どこに届けたらいいんだろう、難しい。