考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

305 改装計画⑤自分の心に伽藍を築く

 

 

「自分の中に伽藍を築く」という言葉は、好きな作家さんが本に書いていた言葉だったと思う。しんどいときに他の誰かではなく、自分自身を頼りにできるように、軸になるものをしっかりと自分の心の中に持っておく。

何か自分の外のものに依存するのではなく、苦しい時にも自分で立てるように心を鍛えていく。分厚く、たくましいものにしていく。そんなイメージで、僕はこの言葉を捉えている。なかなか容易ではないし、僕は弱いのだけど、その境地を目指したい思いがある。

 

 

改装計画、と題した一連のブログで、これまで新たに買ったものであったり、変化した家事のしかたなんかについて書いてきたけれど、今回は気分的な変化について書く。

 

 

 

 

誰かの相談を受けたり、悩みを聞いたりするなど、「他者のしんどさを受け入れる」という経験が自分自身を豊かにしたり、幅を広げると感じることがある。

たくさん受け入れた分だけ、自分がしんどい経験をしたときも、許容力のようなものがついている分、それほどつらくならずに済んだりする。

 

他者を受け入れる経験を通して心の力をつけていくことが、自分の心に伽藍を築く、ということに繋がるのかもしれないと思う。自分の心にお寺をしっかりと作って、大変な立場の人に、そこに来てもらって、何かしらの方法で楽になったり、少し元気になったりしてもらう。

その経験がたくさんあれば、自分がしんどいときにも、自分のお寺の本堂で座って静かに過ごすだけで、楽になれるような、そんな感覚がある。

 

 

LDKの一人暮らしが始まってから、ありがたいことに、友人や後輩が何人か遊びに来てくれ、話をして過ごしたり、泊まったりしていった。

 

過去の自分だったら、「一人暮らしで3部屋もあるのはもったいない」と感じて、もっと家賃が安く自分の身の丈にあった必要最低限の部屋に早く引っ越そうとしていたと思うのだけど、空間にゆとりがあることで、人を家に誘いやすくなるのも悪くないと、今は思う。

 

最近仏教関係の本を読むのが好きなのだけど、「損得勘定をやめる」ということが仏教の教えのなかでよく言われている。僕は、大阪育ちだからか、戦争中や戦後を生きた祖母に育てられたからか、経済的な損得というのは大事なものとして心に沁みついてしまっている(その割に給料の安い福祉の仕事は続けられているが)のだけれど、それをある程度手放してしまえばとても楽になれるし、豊かな人生になると思う。

 

最近読んでいる本に、豊臣秀吉が好んで庭園に住ませていた鶴が逃げたのを世話係から聞いたときに、「日本のどこかにいるなら我が籠のなかじゃ」と言って、世話係を責めなかったというエピソードが紹介されている。何かを自分のものにしたいという欲は、自分と他者の間に明確な境界線があって、その内側だけを豊かにしたいという発想なのかもしれない。不増不減。世界全体を見れば、増えることも減ることもない。

 

自分で所有しなくても、存在するだけで幸せと思えれば、自分の世界はぐっと広がる。

 

 

 

 

 

 

お金を少しでも自分のものとしておきたいというこだわりは少しゆるまって、

友人に我が家に来てもらって楽しい時間を過ごしてもらうためにも、少しだけ多めの家賃をしばらく払い続けるのも悪くないんじゃないかと、最近は思う。

 

まあ、大好きな図書館がすぐ近くにあるから、ここに住んでいたら図書館の本を読むというお金のかからない趣味を楽しめて家賃の元はとれるんじゃないかっていう、結局損得勘定で納得してる部分もあるのだけれど。笑

 

 

 

 

 

 

 

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305改装計画は、3LDKでの一人暮らしが始まったのを機に、部屋をゲストハウス、自分をゲストハウスのオーナーとみなし、自分が客だったら何度も泊まりに行きたくなる空間に、少しずつ部屋を整えていく、個人的で小さなプロジェクトです。せっかくなので、読んでくださっている方のいるブログで発信しながら進めていきます。