考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

どうでもいい文章を読みたくなったから、どうでもいい話を書く

考え事が多いときほどくだらないことを考えたくなるもので、図書館でどうでもいいような本を探していたんだけど、ついつい自分の興味のあるコーナーに寄ってしまうがゆえにどうでも良いものにはなかなか出会えなくて、明治時代にまつわる本の特集コーナーをぶらぶらしてみてもいまひとつで、そういえば家に「思考記」とかいう本があって、それなんかは今の気分にちょうどいいかもしれないと思って本を借りずに家に帰ることにする。

 

 

その前にスーパーで夕食の総菜を買うことにして、図書館の近所のスーパーに寄り、値引きになっている総菜を探したら鯖の塩焼きが見つかって、今日の夕食の予算は330円だったけど塩焼き半額で150円くらいで、安いチルトの餃子と玉ねぎひとつを買ってもお釣りが来た。もう社会人になって4年以上になるからそんなに節約をしなくても大丈夫なのはわかっているけれど給料日前にはあえて節約をするのが自分は楽しくてあと5日くらいは1日1000円以内で暮らすつもりなのだけどそれって全然大した節約ではなくて、もっとお金のなかった学生時代や働き始めの頃に1日200円ずつ寄付して今1日800円でやりくりできたら、過去の自分は200円分満たされるし今の自分はもっとストイックな節約を楽しめるから良いのだけれどそんなことは叶わない。

 

 

 

 

「思考記」という友人がやってるオンライン本屋さんで買った本がちょうどいい感じにゆるくておもしろくて最初の文章が湯船にまつわるものだったので自分も湯船にまつわるどうでも良い話を書いてみようと思った。読みたい文章は自分で書けばいい。そうすれば今の自分にとってちょうどいい”どうでもいい具合”の文章を生み出すことだってできるのだ。はてなブログの記事編集画面は100%自分の遊び場だから書きたいものを書くし、読みにくくなったって長い文を書きたいときはそうする。

 

 

 

湯船について覚えている一番古い記憶は自分がまだ保育園児だった頃のもので、年長だったか年中だった忘れたけれどその日はお泊り保育だった。20年以上前、大阪府の八尾市山本町というところにあった僕が通っていた保育園はお泊り保育のイベントがあって、キャンプファイヤーを夜にやっていて、その火を眺めながら園児だった僕たちは小さい紙パックの果実ジュースをストローでチューチューと飲んでいた。昔の記憶を僕はあまり覚えていないのだけど、保育園の思い出はなぜか鮮明に覚えているものがいくつかあって、お泊り保育のことや、給食でラーメンが出た時にあんまりおいしくなかったのにラーメンというだけでテンションが上がって何度もおかわりをしてしまったことなんかがそうだ。ラーメンには当時僕が苦手だったコーンが入っていたというのに。保育園のお祭りのイベントで牛乳瓶のキャップを開けた下にある丸っこい紙の蓋をコインのように使って、それと引き換えにほしいものをもらっていたことだって覚えている。

 

 

湯船について覚えている一番古い記憶は自分が保育園児年長だった頃のもので、年長だったか年中だった忘れたけれどその日はお泊り保育だった。キャンプファイヤーのイベントの前にみんなで近所の銭湯に入りに行ったのだけど、洗うのが遅かった僕はほとんど湯船に入る時間がなくて、泣きべそをかきながら風呂から保育園に帰っていったのだ。その日入った銭湯はそんなに広いところでもなく普通の昔ながらの銭湯だったし、人もそれなりにいた気がするし、そんなところによく保母さん(当時の呼称だ)は僕たちを連れて行ってくれたよなと思う。園児をたくさん連れて銭湯に行く自信が僕はない。

 

 

保育園には毎日昼寝の時間があって、部屋に子供用の小さな布団をみんなで並べて寝るのだけど、たいてい僕は眠れずに、なんとなく寂しい気分で暇をしていた。いつも僕を歩いて保育園まで連れて行ってくれたのが自転車に乗れないおばあちゃんで、毎週月曜日には布団を抱えて僕を連れて保育園に行き、金曜日は週末に家で干すために布団を抱えて帰った。

帰り道はたいてい駅の近くのスーパーで買い物をした。そのあと、買い物袋を持つのを手伝いながら、電車が好きだった僕は、近鉄電車の駅の近くの踏切で、アーバンライナー伊勢志摩ライナーが通っていくのを待ってからおばあちゃんと一緒に家に帰るのだった。時々は駅前の定食屋さんでご飯を食べて帰ることもあって、その昔ながらの個人経営のお店のかやくご飯が僕は大好きだった。とっくにそのお店はなくなっていて、調べたら通っていた保育園も名前が変わっていた。好きだった保育士さんや、初恋の女の子は、元気にしているだろうか。