考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

日課日記120 自分は特別だと思っていたのに、日本に300万人も自死遺族がいるらしいということ。

 

 

最近、自死遺族のことを調べたり、当事者の語りをインターネットラジオなどで探して聞いたりしている。

このブログでも何度か書いたことがあるのだけれど、僕自身が母を亡くした自死遺族で、あと1年ちょっとで自死遺族歴30年になろうとしている。アラサーの若造なのだけど、自死遺族歴は結構長い。

 

カウンセラーを目指すことを挫折してからも、いつか自殺防止活動をしたい気持ちはあったのだけど、もう少し人生経験を積んでタフになってからの方がいいと思っていた。

自殺防止も、社会的養護もやりたかったのだけど、どちらもまだ今の自分では早い気がしていて(感情移入してのめり込み過ぎて、自分を守れなくなる気がしていたのだ)、そこから少し離れた、身体、知的障害児・者支援の仕事や、精神科病院の面会ボランティアなどを大学卒業した後から、これまでしてきた。

 

だけど去年の秋に、同じく自死遺族の女友達が、苦しい思いをしている自死遺族の人と話をする活動をするつもりだと話していて、自分もその活動に参加しようと思い、少しでもこの活動を知ってもらえるように、そしてアクセスしようと思ってもらえるようにと、stand.fmで家族を自死で亡くした経験やそれを受け止めてきた経緯を話すことをしてきた。「wish you were hereの対話」のことだ。

 

そこに連絡をくれる人も現れて、一緒に活動してくれる仲間もできて、「自死」とか、「自死遺族」についての僕のなかでの関心が再燃してきた。

大学の頃、臨床心理学を専攻しつつ、図書館で文献を読んだり論文を調べたりして、希死念慮自死の問題とは随分向き合ってきたつもりなのだけど、(自分も該当する)「自死遺族」のことや、その苦しみについてはほとんど調べていなかった。

 

「wish you were hereの対話その4」を録ったあとで、自死遺族ってそういえば何人くらいいるんだろうと思って、テキトーに計算してみた。過去40年で自死した人は25000×40で100万人ほど。仮にその人たちに平均3人の家族がいたとしたら、40年で300万人が自死遺族になったってことになる。なんとなく、現在の自死遺族の数もそれくらいなんじゃないか、と思っていて、今日探したら、自死遺族の数を推計した2008年の論文を見つけた。

 

そこに書かれてた自死遺族の人数、なんと、

300万人!

ぴったり!!

(自分、天才かも・・・)

 

「日本における自死遺族数の推計」

http://www.cirje.e.u-tokyo.ac.jp/research/dp/2008/2008cj207.pdf

 

 

stand.fm

 

 

推計なので実際のところはわからないし、同じ家族で複数の人が自死することも少なくないから、もっと少ない可能性もあるのだけれど、仮に300万人とすると、日本の人口の約40人にひとりは自死遺族なのだ。クラスに一人はいてもおかしくない割合。

ちなみに大阪市の人口が約275万人である。

 

自死遺族の苦しみについて、素人?ながら、考えてみた。

病死で家族を失うことと何が違うんだろう、と。

 

 

僕自身の経験や「wish you were hereの対話」の中の友人の語りなどを踏まえて言えるのは、

自死という出来事に対するショック。(イメージの重さ、病死と違って予測が困難)

自死した人を救えなかったことに対する罪悪感

・その人が自ら生を終わらせることを選んだことに対する、残された側の孤独感

自死の話はタブーであり、恥の意識もあるため、苦しみを人に話せず一人で抱えてしまうことが多い。そのために孤独感が生じたり、和らぐことなく苦悩が継続したりすること。

自死遺族であるというアイデンティティの形成および、自身に対するレッテル貼り

 

などがあると思う。

 

人にもよるけれど、「大切な人が(不幸にも)自死をしたのだから自分だけが幸福になってはいけない」と思ってしまう人も多いようだ。

 

僕の場合も、母の自死の話を知ってからしばらくは、(「自分の母親が自殺で死んだというのに何のんきに笑ってるんだ」的な感覚で)友人のくだらない話に心から笑えない時期もあった。

(今思うと無茶苦茶な理屈だけど、無意識的、自動思考的にそう思ってしまっていたから当時はどうしようもなかった)

 

それから僕は、

自死願望のある(死ぬ前の母のような)人を救いたい→カウンセラーを目指そう→自分も苦しみを抱えていて不安定なので人の苦しみを背負って共倒れしてしまう経験(大学時代、家族や当時のパートナーと)→自分が幸せでない状態で他者を幸せにすることは困難であるという気づき→自分がまず幸せにならねば!

 

という流れでようやく、自分が幸せになることに抵抗がなくなった。

確か14歳くらいで母の自死を知り、大学時代にそう思えるようになるまで、8年くらいかかった。

 

自死遺族について調べる中で、自死する当事者だけでなく、「自死遺族」も相当に苦しい思いをする、十分なケアが必要な対象だということがわかった。(自死遺族の4人に1人が、「自分も死にたい」と思っているという調査結果も見つかった)

 

自死防止の活動もいずれしたいけれど、今の自分に(メンタルを崩すことなく)何ができるか、これからいろいろと考えていきたい。

 

●料理

昼、ささっとコンソメスープとサラダを作る。

コンビニで買ったメンチカツ×2と一緒に。

 

夜、職場で利用者さんの朝ごはんづくり。

コンソメスープと中華炒め。

 

●運動

駅までの自転車往復、

職場までの自転車往復、合計1時間半くらい。

 

●読書

末井さんの「自殺会議」を少し読む。

とってもおもしろくて気づきの多い自死に関する本なのだけど、

自死」というテーマの引力はすごいなと感じる。

 

メンタルのバランスをとるために、たくさんくだらないこととか、癒しになることとか、純粋に好きだと思うことをしないといけない。

 

今度猫カフェにでも行こう。

犬派やけど。