書きながら考えたこと。

のんびり、マイペースで生きる。

銭湯日記。3/10藤井寺温泉(大阪府藤井寺市)

 

3月11日。

震災の日から8年たった。あの日の記憶は、関西に住んでいた自分にも強烈で今も鮮明だから、8年前というとそんなに前かと思う。いろんな巡り会わせがあって出会った、震災がなければ出会うことのなかっただろう関東に住む人とこの前話していて、自分ももしかしたら、震災の影響を受けて今の生活に行き着いたのかも知れないと思った。

 

震災のあったときに一緒に住んでいた祖母は勉強に関してものすごくスパルタな人だった。2011年3月11日、当時18歳で現役の大学受験に落ちた僕は浪人することを決めていた。高卒後、予備校が始まる前の春休み。今でも仲良くしている高校の友人に、チャリティーコンサートがあるから一緒に行こうと誘われた。

出かけることを伝えたときに祖母に「大学落ちたのにそんなんに行ってる場合か。勉強しなあかんやろ」というふうなことを言われたのを覚えている。「勉強や受験より大事なもんがあるやろ!」と僕は強く反発した。そのときに「自分のことばっか考えて社会のこと考えないのはおかしい」と思ったから、僕は大学でいろんなボランティアをして、その延長で、今の仕事に就いているように思ったりもする。

 

とまあ、これはあとから自分で作ったストーリーで、実際のところそんな因果関係なんかないと思うけれど。

 

大学2回生くらいのときに、青春18切符で京都から仙台まで行き、気仙沼や釜石をたずねたことがある。大きな船が陸地の道路よりも山側にあるのを、気仙沼をレンタサイクルで走っていて見つけたときの衝撃はすごかった。あの地域は今、どうなっているんだろう。

 

 

銭湯のことを書こうとしていたんだった。

 

昨日は休日で、初めて会う人と藤井寺で餃子を食べていた。

その人が偶然高校の後輩で、高校の思い出話で盛り上がったり、会いに行く途中に通る道明寺駅が、高校のころの記憶がいろいろ呼び起こされる場所だったりして、懐かしい、なんだか不思議な日だった。

 

高校の頃、父親と住んでいた僕は、父親が当時付き合っていた人にたまに弁当を作ってもらっていた。おいしい弁当を自転車で朝取りに行っていた、その人の当時の家が、その駅の近くだったと記憶している。

 

その道明寺から2駅隣、餃子を食べた人と出会った藤井寺駅の近くの銭湯に、せっかくなので、帰りに寄ることにした。

僕は銭湯が好きで、特に、行ったことのない銭湯に入るのが好きだ。

 

osaka268.com

 

藤井寺温泉は、近鉄藤井寺駅のすぐ近くにある。

駅南側の通りを少し東に進んで、南に折れた通り、

すぐ近くにはから揚げやさんや飲み屋がある、わりとにぎやかな場所にある銭湯だ。

 

入ってみると、脱衣所も浴室もわりと広く、ゆったりした作りだった。

そして地味にテンションがあがったのが、風呂桶がケロリン桶だったこと。

 

ケロリン桶に出会って、「昔ながらでいいなあ」となんだか感動してブログにも書いたのが、3年前、神奈川の日吉の旭湯という銭湯だった。その頃のことを思い出してまた、懐かしかった。あの日は興味のあるNPOのミーティングに見学に行った後、大学の友人の家に泊めてもらったんだった。あれからいろんな銭湯に行っているけど、しばらくケロリン桶には出会っていなかった気がする。

 

kikikiron.hatenablog.com

 

藤井寺温泉は、400円台で入れる一般の銭湯では珍しく、シャンプーとボディソープが備え付けだったのが手ぶらの僕には嬉しかったし、日曜日の夜なのに入ったとき自分ひとりしかいなくて貸切状態で贅沢だった。雨の日だったというのはあるけれど、あとで数人入ってきたから、かなりラッキーだったと思う。

 

さらさらした軟水のお湯が気持ちよく、ミストサウナも広くて気持ち良かった。

それと、ライオンの口から水が出てくる水風呂が、大学時代、京都の左京区で住んでいたときに僕が愛用していた銭湯と似ていて、それもすごく懐かしかった。

 

 

金曜日の仕事で感じたしんどさを、そのときもまだ引きずっていた。

子どもがたくさんいる騒がしい環境が自分はどうしても苦手なようで、そのことで仕事に支障をきたしているのを、どうにか対処しないといけないと思うのと同時に、その仕事中に感じた胸の苦しみがずっと残っていた。

 

銭湯に入ったあと、近鉄とJRを乗りついで奈良に帰るときに、銭湯効果で少し楽な気分になれていた。

たいていのことは、どうでもいいことなんだと今では思える。昔に比べたら、ずいぶん落ち込みにくくなったし、立ち直りも早くなった。

どっちみち今の仕事をずっと続けるようには思わないし、数年後別の仕事をしていたら、今自分が苦しんでいることなんて、どうでもいいどころか、きっと忘れてしまっている。

 

たくさんの子どもと関わると感じる胸の苦しみの原因について、過去に何かあったんだろうかと考えたことがこれまでにも何度かあったけど、全然思い浮かばなくて、もっとシンプルに、自分は子どもの声の高さとか、動きとか、そういったものが苦手な遺伝子を持った個体なのかもしれないと思ったらなんだか楽になった。

 

昔は、0歳の自分と心中しようとした母親が、自分を愛していたとか愛していなかったとか、そんなことを気にしていたけど、単純に、母親も子どもが苦手だったから育児ノイローゼになったのかもなあ。その遺伝子を受け継いでるだけかもなあなどと思ったら、妙にすっきりした。

 

子どもは好きだけど、自分には難しい。

子どもを育ててたい気持ちはあるけれど、あんまり無理しない生き方をした方が無難かもしれない。

 

このことに気づかせてくれた今の仕事には感謝すべきかもしれないし、

しんどいときにいろいろと気配りをしてくれるスタッフがたくさんいて、

本当に恵まれた職場だなあとも思う。

 

また、銭湯に行こう。