考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

ブログに考えや思いを書くことの意味について

 

昨日先輩と会話しながら、毎日ブログで発信することの、自分にとっての意味を考えたくなった。ここ4週間ほど、「日課日記」というタイトルで毎日書くようになっていていたので、それについても書きながら考えてみようと思う。

 

本心と建前

書いて考えを整理したいタイプの人のなかには、誰にも見られないような、紙のノートであったり、個人用の非公開のtwitterとか、LINEとかに、自分の思いを書くことを続けている人も多いと思う。僕も、誰にも見せたくない思いは紙のノートに書いたり、あるいはPCのメモ帳のアプリに書くこともある。

別に見せたくないわけでなくても、なんとなく気分で紙のノートに書くこともある。一人でいる、より閉ざされた感覚のなかで考えたい、書きながら整理したいときなんかはそうするし、友人との会話をメモしておきたいときにもそうする。

 

twitterなどのSNSやnoteほど、拡散されたり、不特定多数に読まれる可能性が低いとは言え、このブログも読んでくれる人がいるから、書く内容も自然と影響を受ける。誰か特定の人や、出来事に対する怒りの感情とか、強いネガティブな感情をここに書くことはほとんどないし、それについてもし書くとしても、ある程度客観的に捉えたり、穏やかな心持になって、教訓的な学びに変わってから書くことになると思う。ある意味、整った部分、人に見せられる(と自分が思った)建前的な部分しか、ここには載せていない。

 

見られているところに書くことで思考にも影響する

そういう意味で、何かが起きた時の一次的なリアクションとか、処理できていない感情をここに書くことはほとんどない。(そういえば、このブログを始めた時の1番最初の投稿は、気持ちを処理できないままに書いていた気もするけれど。)逆に言えば、このブログに書くことを通して読まれてもいい状態に自分の思考をシフトしていっているともいえる。僕は以前カウンセリングを受けたことがあるけれど、しんどいとき、プロのカウンセラーには、感情のままをぶつけてしまっていた。対面で人に対して話すときも、状況によってはとても感情的なままで話していまうこともある。それに対して、ブログに書くことは、まず、書くという行為によって、ある程度客観的に、整った形に考えを持っていくことになる(ー※1)し、さらに、不特定多数に見られていることを意識することで、より丸みを帯びていく気がする。

 

※1 たとえば、「ぼけ、ほんま腹立つ、なんやねん、意味分からんわ!」みたいな言葉は、そもそも書き言葉になじまないような感じがして、見られる、見られないを別にして、「書く」という段階である程度取り除かれる。

 

 

twitterやnoteではなく「はてなブログ」であること

はてなブログ」というのは僕にとってすごくちょうどいい媒体で、何がちょうどいいかっていうと、閉ざされ方がとてもちょうどいい。誰かがこのブログをSNSでシェアしてそれが拡散される可能性がないわけではないけれど、僕みたいな、メッセージ性が強いことや役に立つことを書かないブログは、炎上とか拡散とかはたぶんないだろうっていう漠然とした安心感がある。

 

字数を気にせず、まとまった文章を書けるのもいいし、noteのような、フォローしている人の投稿が直近のものから順に並ぶタイムライン形式でもない(購読リストはあるけれど、ブロガーそれぞれのページが「主」な感じだ)ので、自分のサイトを好きなように使える感覚がある。6年くらいやってきたからそう思えるのかもしれないけれど、どんなに適当なことを書こうが、見たい人だけ見るだろうからあまり気にしなくていい感じもする。

 

このことは、上に書いたことと矛盾するようだけど、ある程度の他者目線は意識しながらも、「あからさまに人を傷つけたりするようなこと書かなかったらなんでもいっか」的な雑さも同時に持てる感覚。ほかの人にはよくわからんようなことを備忘録的に書いても別にいいと思っている。

 

 

日課日記という形式で毎日書き続けること

最後に書いてみたいのが、4週間続いている日課日記について。

始めたときは3日続くかさえわからなかったけれど、自分でも意外なほど楽しくなってきて、今も続いている。

 

本当にただ適当に「素振り」「読書」「洗濯」という3つの行為を選んで、毎日、素振りについてはどれだけやったか、読書については読んだ本とその内容、洗濯はしたかしなかったか、どんな風にやったか、などを気ままに書いている。

 

日課と言いつつもしない日もあって、そのときはしなかったことを書いている。

これをすることで、その行為をすることのモチベーションにもなるし、だからって必ず毎日そのことをやらないといけないわけではないから、しんどくならずに続けられる。

 

たまたま僕は書くことが好きだから、「日課日記」を書くことは毎日やりたいと思えていて、だから毎日1回は、「素振り」「読書」「洗濯」について意識をすることになり、そのことを考えない日はない。

 

一方で、テーマを固定して書くことで、書くことのハードルがめっちゃ下がる。

極端に言えば、

 

素振り

してない

読書

してない

洗濯

してない

 

の6行のブログでもいいと思っていて、とりあえず記録しておくってのが最低ラインとしてあるから、あとは全部プラスαのイメージ。

逆に、してないときも、そのキーワードから連想する何かを書くのはなんだか楽しくて、「ルールのなかでいかに遊ぶか」という小さな娯楽にもなっている。

 

バッティングセンターで左右両方でホームランを打てたら日課日記を終えるつもりでいるけれど、それまでは楽しみたいし、両方ホームラン打てたらまた別の3つの何かで日課日記を書いてもいいかなと思う。

 

毎日このブログを更新する、何よりもそのこと自体が日課になっていて、毎日ブログに書くことの安心感みたいなものを感じながら、なんとなく、ゆるく続けている。