日課日記46
からだの調子が悪い時に食べ過ぎてしまう悪い癖があって、宿直明けの今朝、喉の痛みがあるのにひき肉とほうれん草ときくらげを入れたラーメンにご飯に、作り置きをしていた肉団子のおかずを食べてしまった。
「食欲があるうちは大丈夫やから、しっかり食べなさい。」などとよく風邪をひいたときに祖母に言われていたのが染みついているのもあるかもしれないが、実際なぜかいつもしんどいときに食欲はあるのだ。
頭が少しぼーっとして抑制が効かない分、食べ過ぎてしまう。
昨日、空いた時間にnoteを読んだり、今朝、他の人のはてなブログを読んだりしていろいろ考えさせられたり、共感したり。
活字中毒の僕は文章を読めば割と幸せになれる。読む文章によって、気分が簡単に変わる。吉田篤弘さんの小説を読んで静かでひそやかな気持ちになったり、森見登美彦さんの小説でくだらないノリを本気でおもしろがったり。仏教やミニマリズムの本を読めば心が整い、知的な欲求を満たしたければ国際政治の本を読んだりもする。
図書館の近所に暮らせているだけで十分すぎるほど幸せなのだけど、スマホでブログなどを読めば、本がなくても楽しめてしまうからもっとすごい。
メモがてら、気になったnoteやブログを貼っておこう。
弱者男性差別
なんというか、絶望的な気分になりながら、共感をした記事。
男女関係のトラブルがあった際に、自分の怒りを抑制して完璧に紳士的に振る舞わない限り、男性側の自分に非があるって外からは見られるんだろうなっていうプレッシャーとか。簡単に加害者になってしまいそうな不安を感じて、自分が受けた傷には目をつむっておかないといけないこととか。
障害のある男性は障害のある女性より選ばれにくいとか、個人の恋愛において差別は許されるっていう指摘とか。男性目線でこれまでいろんな例を見てきて、本当にその通りだと思ったし、現実はあまりにも残酷だ。もちろん、ここに書かれているように、女性の苦しみを軽視するとかじゃないけど、男の側の苦しみがもっと知られてもいい。
不条理で、残酷なものだと感じると、恋愛とか男女関係とかいうものから距離を置きたくなる。幸い、こういうときに自分は男なので、距離を置こうと思えばいくらでも置けてしまう。逃げるには楽だ。
「アウトプットを続ける」という薬
安定的なアウトプットを続けること。僕も日課日記という形でしばらくやっているけど、自分を守るための行為だという自覚がある。
始める前に、しんどい出来事があって、メンタルを崩さないように、気分を上げるための日課を作った。
自分にとって運動が大事なことは、経験上も、知識的にもわかっていた。家事に時間をかけて丁寧に暮らすことで心がリフレッシュできることも。
そして、書くという行為自体が、子どもの頃からの僕にとっての精神安定剤だった。
「作る」ということに目が向いていて、自分の誕生日があと1か月後くらいなのだけど、自分のプレゼントを自分で作ろうと思っている。木の器を作りたい。自分のプレゼントを作れたら、きっと誰かのプレゼントも作れるようになる。
どんなに小さなことでも、価値を生み出していくことが今は楽しいし、自分を支えてくれる。
トレーニング
喉がいたいので今日は休み。
読書
するかもしれない。仏教の本を読みたい。
語学
するかもしれないし休むかもしれない。
洗濯
今日はお休み。
そういえば、洗濯機を使わない暮らしを続けているおかげか、水道料金が1000円ほど減っていた。9月15日が検針日だったそうだから、たしかにそれまでの1か月は洗濯機を全く使わずに過ごした最初の1か月だ。効果あるんだな。
減らす気持ちよさを知ってしまった・・・笑
極端な方向に走らないように注意しないと。笑
城崎の踏切と大溪(おおたに)川