考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

開き直りの歌

 

大学の頃によく助けてもらった友人がコンサートでボーカルをするというから、聞きに行った。少し珍しい楽器がメインのバンドで、コンサートの演奏曲のなかには星野源の曲が2曲あった。

 

 

どこまで本当かわからないけど、僕が来るから星野源の「地獄でなぜ悪い」を選曲したと友人は言っていた。

やわらかくアレンジされた「地獄でなぜ悪い」は、とてもよくて、泣くような曲じゃないはずなのに、聞きながら泣いてしまっていた。

 

この曲は、辛い時期に自分を助けてくれた思い出の曲だ。

 

 

 

大学4回生の5月くらいに、祖母と兄がメンタルの調子を崩して2人とも精神科に入院をして、僕も進路に悩んでいて、おまけに、何を思ったのか、4回生に上がるタイミングで、大学から2時間くらいかかる父親の家に引っ越して、大学から少し遠い場所で暮らしていた。

 

その家で割り当てられた僕の寝室は、いま思えばなんとでも対処の使用があったのだけど、少し変わった形の窓にかかったカーテンが薄くて街灯の光が部屋に入るせいで毎晩寝つきにくく、睡眠不足と、長距離の通学、それに、まだ関係の浅かった父親の再婚相手の方と暮らす緊張感から、常に疲れていて、気が張っているような、そんな日々だった。

 

結局たった3か月でまた引っ越して、大学のある京都で一人暮らしを再開することになったのだけど、その3か月間は、かなりハードな日々だったと振り返っても思う。

 

 

家族の不調や入院につきそうなかで、いろんな暴言を聞く場面もあり、家族皆が疲弊して困り果てるような状態で、自分も相当に子どもの頃の家でのトラウマのようなものがよみがえり不安定だった。同時に、こんなに過去のしんどさを抱えたままの人間がカウンセラーになることができるのかと感じて、それまで臨床心理士になるために歩んできた自分の進路を、問い直さずにはいられなくなっていて、そのことはアイデンティティの危機のように、自分の根幹を揺るがしていた。

 

 

家族が2人も同時に精神科に入院するなんてどうかしてるし、皆が一緒に暮らしていた頃の我が家は本当にひどかったし、大学の他の人たちは平和に就職活動や卒論に取り組んでいるのに、なんで自分の家だけこんなんなんだろう。

 

 

そんな辛さを聞いて受け止めてくれたのが、今回コンサートに誘ってくれた友人だった。

 

 

大学の近くに住んでいた友人の家にその期間、時々泊めてもらっていて、その時期に友人がはまっていた曲が、星野源の「地獄でなぜ悪い」だった。友人ははまった曲を家で延々と歌い続ける癖があり、ギターを弾きながらいつもその曲を歌っていたように思う。

 

 

最初は変な歌だなと思ったし、MVもぶっとんでる感じだったのだけど、少ししてから自分も聞くようになり、父親の家に帰る日には、最寄りの駅からの少し長いゆるやかな上り坂を、イヤホンをさしてその曲を繰り返し聞きながら歩いて上った。暗い夜、車がよく通る大通りの歩道を、歌でどうにか自分を鼓舞しながら家に向かって歩いた。

 

 

生まれ落ちたときから、自分に居場所なんかなくて、友人らが楽しそうに平和に話す空気感を羨ましく感じながら、外から眺めていた。

 

今はの状況は地獄と言えるくらいひどいし、未来も見えなくて不安だけど、それでいいじゃないか。最悪の状況でも、胃が痛くても、進んでいけばいい。地獄でいいじゃないか。地獄を楽しんでやろう。

 

もうダメになりそうなときに、支えてくれたのがこの曲であり、友人だった。

 

あの頃から、少しずつ状況はよくなって、世界も広がって、うらやましかった他の人たちみたいに日々を楽しめるようになった。

多少辛いときも、あの時期に比べたらマシだなと思えることがたくさんあったし、辛い状況もずっとは続かないから、淡々と前に進もうと思えた。

 

そして、ダメになりそうなときに助けてくれた彼のように、辛い人がいたら、できることでサポートして、助け合って、頼りあいながら生きていこうと思うようになった。

そんな、思い出の曲だった。

 

あれからもう、7年がたった。

 

 

 

 

 

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