新しい職場で、精神病の人の支援について考えるオンライン勉強会のような場がある。
そこで今度、精神病の人の家族に、体験やあってほしいと思う支援やサービスなどについて話してもらう企画があって、それの1人にゲストとして呼ばれた。
僕は亡くなった母も祖母も、いまは元気な兄も、精神科入院経験があって、そういう意味では適任だと思う。
今は家族は落ちついていて自分の心も平穏だし、ブログや、友人とやっているインターネットラジオなんかでもしんどかった頃の話をたくさんアウトプットしてきたので大丈夫だろうと思ったけど、いざ当日話すためにパワーポイントを作ってると、結構しんどくなった。
いまは知識もあるし、大変だった頃のことを笑い飛ばすことさえできるけれど、当時の体験を語るとなると、幼かった頃の自分の感情を追体験してしまう。
大変さをわかってほしかった、助けてほしかった、誰かに受け止めてほしかった、そんな気持ちが出て、書かなくてもいいことまで書いてしまう。
ちょっとおもしろい感じに伝えようとしても、どこかで泣きそうな自分が顔を出す。
今日、精神病の当事者であるベテランの人にそんな話をした。
そしたらその方も、
若い頃のこと、30年くらい前に入院してた頃のことを今人前で話しても、いまだに話したあと1日や2日しんどくなると言っていた。
そういうもんなんだろうなと思う。
精神病の当事者の経験を、淡々と書くような本はまだまだ少ないし、家族が当事者のことを話した本なんて、もっと少ないだろう。少しずつ、そういったものも出てきているけれど。
その方も言ってたけど、自分が話すことで、話していいんだって思える人が増えたらいいってのはそのとおりだと思っていて、そのためにも、その勉強会で話すつもりでいるんだけど、まあしんどいのは仕方ないよなあ。
この発表のための準備をしていて、ちょっとしんどくなりましたってことも、話してもいいかもしれないと思った。
しんどいこと話すんだから、それくらい言わせてもらおう。
そして、誰か、何かアクションを起こすきっかけにでもしてほしいと思う。