考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

発信したい気持ちについて

 

 

4月に通院をはじめてから、4か月ほどやってもらっていた心理検査の結果を昨日一部だけ教えてもらった。質問紙検査や投影法の検査の結果を、おこなった順に教えてもらう。

 

内容は書かないけど、自分なりに自己分析してきたことと重なる点が多く、「こういうことを客観的に言ってもらって、これまで自分なりに対策してきたことを肯定、あるいは強化してもらえるのはありがたいことだなあ。」という印象だった。ざっくり言うと。

 

 

そのなかで、僕はどうやら、感情を共感されたり気持ちよりも、考えていること、思考内容を肯定してほしい気持ちの方が強いらしい、という話があった。

 

たしかにそうかも。と思った。本当に苦しくてしんどい気持ちのときは、この気持ちを誰かにわかってほしいと思うんだけど、普段SNSやnoteで発信したり、友人と話しているときは、「その考え方いいな!」とか「おもろいな!」って言ってもらうのが僕は嬉しい。そういうモチベーションで普段twitterとかもやってるなと思っている。

 

(まだしばらくはXと呼ばずにtwitterって言い続けそう。単に、こっちのほうが慣れているからって理由でしかないけど。)

 

 

 

 

SNSの投稿や発信を制限してみる

昨日、3日に1回、1か月だけ続けたスタエフのライブ配信が終わった。

最後は2人の人が参加してくれてありがたかった。どちらも友人や先輩で僕は直接知っている人だったのだけど、その2人がコメント欄のチャットでのやりとりで関わるのを見るのは新鮮だった。

 

 

10回終わったので、しばらく発信することから離れてみようと思う。まあ、たぶん1か月ほどだけど。

 

僕はこれまでtwitterなどは、慣れてくると考えてることをすぐ垂れ流してしまうようになってしまって、「ああ、承認欲求強い自分恥ずかしい、、、」ってなってアカウントを消去して離れるパターンが多かったのだけど、数年あいてから今年久しぶりにやっていて、人の考えていることがリアルタイムでわかったり、おもしろい投稿する人もたくさんいて単純におもしろいなーと今更ながら思い直した。

 

なので、しばらくつぶやくのだけやめて、すたえふも配信はやめて、見る専門、聞く専門の期間を作ってみたいと思う。

 

 

ただ、こういうのって、発信する習慣ができていると簡単にはやめずらい。

 

いいね!をしてもらって、似た考えをしている人に共感してもらう小さな快楽。

いつもたくさんいいね!してくれる人は自分のことおもしろいって思ってくれてるのかな?とか思って嬉しくなったり。

 

ついついつぶやく方向に流れてしまうのをやめるには、依存症対策と一緒で代わりになるものを作る必要がある。

 

っていうので、ノルマを課して、LINEの自分だけ見れるトーク画面にしばらくつぶやき続けることにした。500回、自分しか見れないLINEにつぶやくことを終えたら、twitterに戻っていいというルール。

 

 

ただし、wish noteの配信と、しばらく追究したいと思っている炒飯づくりの投稿だけは続けてOKということにする。その他、広報的な意味で必要なものだけOKってことで。

 

 

そもそも、僕のつぶやきなんて、今すぐに見てもらわなあかんことなんてほとんどないわけで、面白かった本の紹介なんて数か月後でもいいし、こういう工夫するといいんじゃない?って思ってることだって別に今すぐは言わなくていい。しばらくたって見返して、これは本当に共有する価値があるわ、って思うのだけ投稿してもいい。それも別に投稿しなくてもいいんだけど。笑

 

 

誰かの役に立つかも、とか、おもしろいと思ってもらえるかもって思うようなことだって、結局のところ自分が今言いたいから言ってるだけなんだよな。

 

 

とはいえ、一人暮らし独身の休職中の身としては、普段人と関わる時間が少ないから、SNSで人とゆるくかかわっていて、何かリアクションをもらったりするのはゆるい紐帯を確認できるっていう大きなメリットもあるわけだけど。

 

 

まあ、それでも、しばらくつぶやかない、発信しないことにはそれなりのメリットもあるはずなので、トライしてみよう。仕事ももうすぐ始まるわけだし。

 

 

つぶやきたくなったら、500回、誰も見ないLINEにつぶやく。

30回、自分以外誰も聞かないボイスレコーダーに収録。

それが終わったらSNSに戻る。

 

自分の記録として、考えたこと、見たもの聞いたものをメモして残すのはおもしろいので、それは続けようと思っている。

 

 

ほんまに誰かに聞いてもらいたいことは友人に電話で聞いてもらったらいいし、

誰かに見てもらえる場所に書きたいことは、1日に一回程度、このブログに書いたらいいわけで。

 

 

垂れ流さない。

当たり前にしない、ってことを少しの間だけ意識してみようと思う。

 

 

何一つ当たり前じゃないっていうのは、ストア派の哲学でよく言われていることでもある。

自分の体や、身近な人間関係さえも、必ずいつか失われる一時的な借り物なわけで。一定期間何かから離れることで、そこの自覚を取り戻すきっかけにもなるのかもしれないなと、書いていてふと思った。

 

 

数年前、ガスなし生活とか、スマホ使わない生活とか、洗濯機なし生活とか、いろいろやっていたのと、なんとなくつながったなー

 

 

ありがたみを感じられるんだよな。

一度離れることで。ありがたみを感じるためにも、一度SNSやstand.fmからは離れてみよう。

 

 

 

 

その分、当面のあいだはここに書く頻度が増えそうなので、また気が向いたら読みに来てください。笑