考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

育った家族について、大人になって思うこと。

 

 

ちょっと雑になりそうだけど、最近考えていることを書き残してみようと思う。

 

自分ももう30歳になって、同世代や年上、年下、男女問わず、子育てをしている人との関わりが増えるようになった。

 

子どもの頃は、30歳っていえば、もうしっかりと大人のイメージだったけれど、いま考えると、まだまだ人間としては未熟で、みんな未熟なりに一生懸命に親としての役割を果たして、子育てをやってるんだなと思う。

 

 

人より少し気弱というか、繊細な感性を持っていた子供の頃の自分には、育った家族はしんどかった。暴言や喧嘩はしょっちゅうだったし、いまなら虐待と言われることもたくさん見てきた。

 

そもそも母親は自殺していていなかったし、兄は精神病だったし、控えめにいっても機能不全家族には当てはまっていると思う。

 

 

だけど、夫のことをぐちったり、いらいらしたり、大変さをぼやいたりしながらも子育てをしている同世代のお母さんたちを見ていると、なんだかんだいいながらもちゃんと子育てしてるの、偉いなって心から思う。

 

そういうことを考えると、自分を育ててくれた大人たちも、なんだかんだいいながらも、見捨てずに自分のことを育ててくれたんだなって思える。

 

 

もちろん、本当に限界だったら施設に預けた方がいいってこともあるし、善悪の問題じゃない。

 

だけど、同世代の親たちを見ると、なんというか、ひどいと思っていた部分よりも、それでもやってくれてたんだなと、ご飯を食べさせるとか、生活に困らないものを与えるとか、それは一般的で当たり前と思われることかもしれないけれど、それでも決してひとつひとつ楽じゃない。

 

別に子どもからお金をもらってるわけでもないし、社会から子育てに必要な額が支給されているわけでもないのに、それでも育ててくれたこと、義務だと思って、責任をもって(そう思っていたからこそイライラしたりしんどいこともあったんだろうけど)、生かしてくれたことは本当にありがたいことだなと思うようになった。

 

これまでも、育て親を恨んだり、よくないことをしていたと思うことはあっても、一方で、やってくれたことへのありがたみもわかってはいたつもりだったんだけど、子育てする同世代と関わる機会が増えるにつれて、後者の比重がより大きくなってきたように感じている。

 

 

子育てに限らず、何歳になっても苦労はあるだろうけど、当たり前と思っていることが当たり前じゃないんだなってことは、時々思い出すようにしたいと思う。

 

 

 

 

・自分の国で戦争が起きていないこと

・当面の食べ物にこまっていないこと

・図書館で本が自由に読めること

・こうやってブログで発信できること

・遠くにいる人とも会話ができること

・家族がいること

・友人がいること

・自由に動かせる体があるということ

・働けること

・言葉を使えること