書きながら考えたこと。

奈良で暮らす20代の男の、とりとめのない日々の記録です。

ガスなし生活20日目くらい

 

ガスが止まってから20日ほどがたつ。

昨日やたらとお腹が痛くなって惨めな気持ちになり、

ガスなし生活なんていうことをわざとしてる自分が馬鹿らしくなって

ガス会社に電話をした。

明日からガスが使用できるようになる。

 

 

今では水のシャワーにもすっかり慣れた。

炊飯器でシチューを作ることも、炊飯器を米以外の調理に使うために、先に炊きためて冷凍しておいたご飯をチンして食べることも、当たり前にできるようになっている。

 

好きなコーヒーを飲むのに元々ガスは必要なく電子ケトルがあれば事足りていたし、

まあたぶん、11月末くらいまではガスを使わなくてもいけそうな気がしている。

 

でも僕は明日ガスが通るようになったら、喜んで家で温かいシャワーを浴び、ガスコンロを使って炒め物などの料理をするだろう。

 

でもその喜びは数日で薄れ、以前同様、ガスのある生活が当たり前になっていくに違いない。

 

結局は、あるから使い、なければ使わずに他のものでなんとかする。

それだけのことだ。

 

何かを手に入れた喜びを味わいたければ、今あるものを一定期間手放すだけでいいんだと思う。

そうすれば、他のもので工夫する楽しみを味わったあと、取り戻したときにまた、それまで当たり前にそこにあったはずのものから喜びを感じられる。

 

新しいものを得なくてもいい。

簡単に取り戻すことのできるものをあえて一定期間手放して取り戻すだけで人は(一時的には)幸せになれて、それって周りから奪うことなく幸せになる、とっても平和な心の満たし方なのかもしれない。

 

こんなこと思ってる自分を俯瞰してみれば馬鹿みたいに思うけれど、新しく何かを手に入れる喜びだって冷静になれば馬鹿みたいなもので、人はきっと何かを得るたびに何かを失っているし、どっちみちお墓には物を持っていくことはできないんだから、何でもいい。

僕はなんとなく、地球環境をこれ以上壊したくないし、自分が得ることで人から奪って人を不幸にしたくないと思っているから、

手放して取り戻すという、めちゃくちゃ馬鹿らしいことを繰り返して自分を満たしていくのもありなんじゃないかと思うのだ。

 

次は大好きなコーヒーを1ヶ月くらい手放してみようかな。