考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

憂鬱になりやすい季節に、心を整えるために僕がしていること。

 

今でも冬には、ふとした瞬間に憂鬱な気分になることがある。

理由はわからない。寒さのせいか、仕事の疲れか、夕方5時前には暗くなる、日照時間の短さのせいかもしれない。

 

仕事中ふと、どうにもコントロールできない強い憂鬱さがおそってきて、ーたいていそれは短時間で、人と会話をすれば楽になる程度のものなのだけどー、自分のひとりの力で、頭のなかで自分に語りかけるだけでは(「もう少ししたら仕事が終って好きな物を食べれるからがんばろう」などと考えて)、振り払うことはできない。

 

子どもの頃、特に孤独感が強かった中学生から高校生の頃は、冬はずいぶん長い期間憂鬱なままにすごしていたと思う。それを紛らわすだけの楽しみも、孤独を慰めてくれるだけの人間関係も十分には持ち合わせていなかったし、何よりも、自分の憂鬱さを生い立ちのせいにしていて、解決しようのない苦しみにとらわれてしまっていた。

 

急に重い話をしてしまうけれど、僕は生まれて半年の頃に、母親に首をしめて殺されかけた。そして母親はそのあと自殺をした。自分がしんどくなりやすいのは、母親に愛されていなかったせいだとか、自殺をした人の子どもだからだとか、昔の自分は、憂鬱になるとそんな風に考えてしまっていた。

 

憂鬱さを他の何かと結び付けないこと

大学で心理学を学んで、今も感心を持ち続けているのだけど、そのなかで知って役に立った知見のひとつは、うつ病は「脳の疲労」から来るというもの。シンプルに脳が疲れているのだから、解決できないことをぐるぐる考えずに、自分の頭を休ませればいいと思うようになった。

 

そうは言っても簡単に休ませられない状況もある。目の前にあまりに大変な状況があるとか、しんどいときに限って仕事が忙しいとか。

そういうときはなるべく、憂鬱さを憂鬱さとしてだけ捉えるようにしている。

自分は今、脳の許容量に比べて自分の周りで起きていることが大変すぎるから、疲れていて憂鬱なんだと。それだけでとどめておく。たとえば職場の人間関係がよくないからとか、自分は弱い人間だからとか、不幸な人間だとか、今の仕事に向いていないとか、できるだけ考えないようにする。

実際そのせいで憂鬱になっているのかもしれなくても、同じ状況でも憂鬱でなかったときもあるんだから、今憂鬱なのは自分の脳や体がたまたま疲れていて憂鬱なだけだ、と捉えるようにしている。

 

憂鬱さをいったん受け入れてみる

僕は銭湯で水風呂に入るのが好きなのだけど、水の冷たさを感じるように、憂鬱さをいったん受け入れるようになった。どうせまたいつか元気になるんだから、仕事や日常生活に大きな差支えがない程度なら時折憂鬱になってもいいか、と思うようにして、あえて憂鬱である状態の自分を許してみる。

そうするとあまり深く考えずにすんでちょっと楽になれる気がする。

 

なるべくたくさん家で休んで、好きなことをする

ストレスの発散の仕方なんて人によって違うから読んでもあまり意味がないことかもしれないけれど、人とのかかわりからストレスを感じやすい性質の僕は、憂鬱になりやすい冬は家でひとりで過ごす時間を増やしている。リラックスして本や漫画を読んだり映画を見たり、料理をしたり、家事をしたり、掃除をしたりしていると少し気分が落ち着いて前向きになってくる。

 

自然に触れる

前回のブログにも書いたのだけど、山に登ったり、あるいは川辺や神社などを散歩したりして、自然に触れる時間をとる。これはデンマークの田舎の地域の学校に留学していて気づいて、日本に帰ってからNature Fixという本を読んで、研究結果に基づいた知見としても知ったことなのだけど、自然の中ですごすことは脳をリフレッシュさせ、前向きな気分にさせる。しんどいときは、できるだけ休んだあとで、自然に触れる機会をもつようにしている。

 

ポジティブな感覚に戻れる手段を普段からいくつか持っておき、憂鬱なときにそれを実践する

たとえば僕はスペシャルティコーヒーを淹れるのがすごく好きで、好きな香りの豆の香りをかぐだけで少し元気になれる。他にも、木工で簡単な机を作ったり、家具にペンキを塗ったり、映画を見に映画館にいくことも、他のことに没頭することで目の前の憂鬱さから気をそらすのに有効だ。普段買わないような雑誌や漫画を買って読むのもいい。

 

旅をする

転地効果という言葉がある。普段いる場所を離れて別の場所にいくことで五感が刺激されリラックスできるらしい。日帰りで隣の県の初めての場所にいくだけでもいい。海を眺めたり、温泉に入ったりするのもいい。

 

人と話す

自分と感覚が近い人と話すことも、すごく救われる。

人と会うのもしんどいときは電話がいいかもしれない。

しんどいときに話せる人がいることで、救われることもある。

 

僕は、家族のしんどさを人に話したのは中学生のときで、

同世代の友人に初めて打ち明けたのは高校生のときだった。

しんどさを話すのは最初は勇気がいったけれど、

しんどさを吐き出したときに、話した相手も実は同じように感じてたという話を聞けて、そこでしんどいのは自分だけじゃないと思えたから孤独は少し癒えた。

 

ラッキーだったのかもしれない。

しんどさを話したら雑に扱われて余計に傷ついたという話も聞くし、

僕もそういうことも何度か経験した。

それでも、話せる人を少しずつ増やして、どんどん楽になっていったと思う。

合わない人と話すと余計に孤独を感じることもあるから、難しいのだけれど、ちょっとずつ、合う人を見つけていくと楽になっていく気がする。

 

 

 

先日、はてなブログで「過去の同時期のブログを振り返ってみましょう」ってメールがきて、5年前からずっと、冬は、ちょっと静かで憂鬱な感じの、似たようなテンションになっていたんだなあと感じておもしろかった。

 

ぐるぐる季節がめぐっても人間そんなに変わらないような気がするけど、経験を重ねて、無意識に学んで、自分も少しは生きやすくなってきたのかもしれない。

 

それでもきっと何年か先、ーもしかしたら今日や明日とかかもしれない。ー、自分の心のキャパシティを超えるようなしんどい状況がやってくるんだろうと思うから、未来の自分のためにも、自分を取り戻す手段を、こうして書き残しておく。

そしてしんどいときに助けてもらいたいから、元気なときはなるべく、周りの人を助けよう。