三日前の夜から今日の夕方まで、まるまる3日ほどを千葉で過ごした。
最終日の今日、ホキ美術館に行った。帰る前に美術館に行っておきたいと思って調べたら、写実画家の作品を集めた美術館があると知って、その美術館の建築デザインもかなり好みだったから行ってみた。
駅から歩いて20分ほど、広い公園の手前にその美術館はあった。
写実絵画
自分の好きな絵画の傾向というのをあまり言語化して整理したことはなかったけど、写実絵画が好きなんだなということを今日で確信した。
なかでも三重野さんの作品は強烈で、写真以上に生々しい作品にドキドキしてしまった。
髪の一本一本や、手にうっすらうかぶ血管、服の質感まで、写真どころか、目の前にその人がいても感じないような生々しさがあって、どうしてそんな風に感じてしまうのかわからない。説明できない。
現実よりも生々しく見せる表現技法というのがあるんだなと、感動した。
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ちょっと写実絵画っぽく思えなくもない、養老渓谷の写真
18年ぶりの小説
なぜか最近、昔読んだ小説を読み返したい気持ちになっていて、帰路のおともに、千葉駅ビル内の書店で「博士の愛した数式」(新潮文庫)を買った。
たしか小学生の頃に、読みながら数学の世界にワクワクしていた本。
それからかなり間が空いたので、博士と義姉の関係性であったり、物語の結末もすっかり忘れていた。
再び読みたいと思ったのは、この小説の世界の柔らかさや温かさ、切なさをまた感じたいと思ったからで、こういうふうな、なんらかの経験から受けるふんわりとした感覚を、クオリアって読んでいいんだろうか。内容は忘れていても、その感覚だけは表紙を見るだけで思い出せる。
この小説は、18年たった今でも色褪せず感動的で、ラストの一段落を、飛行機の着陸前に読んで泣きそうになった。
こんなに綺麗な文章をどうやって思いつくんだろうと思うようなリズムの良さと、物語を読み切ったから感じられる深い味わい。
読み返してみて良かった。
小川さんの情景描写の取り入れ方がまたすごくて、数式の話をしているところに絶妙なタイミングで情景描写を挟んでくる。
宿泊学習の日の雷の音、放課後にルートくんが放り投げたままのランドセル、初めて家を訪れたときの生け垣の植物や、家政婦の依頼をされているときの相手の体の動き。
そもそも、普段生きていてこんなにもはっきりと世界を捉えていないし、現実世界よりもクリアに小説の中が描かれているから、のめり込んでしまう。
見せたいものを、クリアに見せる。解像度を上げて見る人、読む人を引き込む。
昔、ほんの少しだけウェブメディアで文章を書いていたときに、編集の人がよくいっていた、具体的なエピソードに人は感動する、という話とも繋がってくる。
意図せず、示唆深い経験をする旅行になってしまった。
旅行中って感度がアップしてるから気づけたことかもしれないな。
いつかなにかに生かせたらいいな。