考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

男だけどケア労働を必要としていた。

 

 男だとか女だとか、分けること自体がジェンダー的によろしくないとか言われるかもしれかもしれないけど、小川公代さんの「ケアの倫理とエンパワメント」を読む限りまだまだケア従事者は女性に多いし(これは読まなくてもわかる)、女性がするものという価値観も一般に根強いみたいなので、今回みたいなタイトルでもいいだろう。

 

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休職してから、自分や、これまでの仕事のことを見つめ直している。

 

 

自分は、あまり安心できる家庭環境で育ってこなかったための不安定さは間違いなくあって、一方で、回避性パーソナリティ障害的な、安心できる人としか関係性を持とうとしない(集団より1対1が好きだったり)とか、一人の時間が大事っていう特性もあって、日常的に頻繁に人と直接関わる方ではない。

 

でも、ケアの仕事を通じて、誰かの役に立てている感覚だったり、ケアのある場にいて自分も癒される感覚をすごく持っていて、それに支えられていたということを、仕事をやめてから気づく。

 

ケアもそうだし、遊びとか、自由、個人の裁量の余地の多い仕事だった。

それって珍しいのかもな。

 

事務所で週5で働く仕事をするようになってから思う。

 

自分はプライベートで、積極的に後輩の面倒をみたりとか、頼り頼られの関係を築くのがあまり得意じゃないからこそ、ケアの仕事で、(最初は)義務的にそういう経験をしていたのは貴重だったんだろうな。

 

(回避性的な)自分の気質ゆえのその仕事のしんどさとか、苦手意識もあったけれど。

 

ケアに接することは、心理的安定のための、大きな要素だったのかもしれない。

 

今の仕事でも、どこかでそういう要素を入れることができるかもしれんのだけどなあ。

仕事外でもいいのか。普通はそうか。

 

しかし、今はとにかく、

周りの人たちに支えられまくっている。

お返ししないといけないとか、重荷に思うのではなく、

そういう関わり方があるんやなあというのを、ただただ感じておこう。

 

いつか自分も誰かにできるといいなあ、くらいに。

やらないと、ではなく。

 

 

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kikikiron.hatenablog.com

 

 

かれこれ8年もブログを続けている。

 

ブログ始めた時も、休学していてちょっと鬱状態のときだったなと思って、最初の頃のを見返している。

 

当時の父親の家で暮らしていた時、自室のカーテンが遮光じゃないうえ隙間があって夜まぶしくて寝られなかったけど、別でカーテンを買うことをしなかった話が、いかにも自分らしい。

 

憂鬱なときに、その状況を変えるためのいい案が浮かばない。ただ、それを耐えるだけになってしまう。

 

って思ったけど、今の自分ならさすがにカーテン買うかもなあ。もうちょっと工夫するな。

 

環境の調整。自分を変えるんじゃなくて、できる範囲で、環境を整えていく。

デンマークで学んだことだな。人を責めずに環境を変えて状況をよくしていく考え方。

 

今の職場でできるかな~

やれることきっとあるんだろうな。考えよう。

できるだけ人と話しながら。

 

 

今日は、原付の試乗体験をした。

足を怪我したので、ある意味いいチャンス。

近いうちに買おう。

 

ドライブしながらもそうだけど、原付でもいろんなことを考えられる。ちょっと前向きに。

安いし、しばらくは2日に1回くらい原付レンタルしてツーリングしよう。

 

「休職中なんやからアクティブなのはおかしい」

みたいな、固定観念はさっさと取っ払った方が絶対いい。