ふと思い立って、12月14日から2月1日まで50日間連続で、noteかはてなブログに500~2000字程度の文章を投稿することにしました。内容によって、どちらに投稿するか決めています。
〇前回の投稿
前回の文章にも書いたけど、おとといまで3泊4日で山梨に行っていた。
青春18きっぷを使っていたので、帰りは奈良まで約9時間。
電車での移動中、いろんなpodcastを聞いていた。podcastは目が疲れないのがいい。
帰りにたくさん聞いていたのが、超相対性理論というpodcast。ユニークな会社の経営者3人(いまは2人)の対話番組。2人になってからはいろんなゲストを招きながらテーマトークをしている。
今回は、ブックコーディネーターの内沼さん、哲学者の戸谷さん、手話通訳の和田さんの回をおもに聞いていた。どれもおもしろかったのだけど、ここでは和田さんの回について。
障害のある人との関わりのなかで生まれた、人はどうやって主人公になれるのか?という問いについて話している。
支援を受ける側の人が、自分の選択を尊重されなかったり、他者にいろいろ決められてしまうことで、自分の人生を歩んでいる感覚が損なわれてしまっているという問題意識からの和田さんのテーマ設定だと思う。(うろ覚えなのでちょっと解釈がずれているかも。)
主人公であるという感覚についてわたなべさんが整理してくれていて、
A 職場やチームのリーダーであること(仕事のなかでの、わかりやすい主人公的役割)
B 職場ではリーダーじゃないけどプライベートのサークルなどでリーダーシップをとっている状況(仕事は主人公じゃなくても別のところで主人公)
C どの組織でもリーダーではないけれど、自分の意志でいろんな集団のなかにいて、自分の人生の舵をとっている感覚(どの船に乗るか選んでいるという意味での主人公感)
D 上記のどれもなくても、何か目の前のものごとに夢中になっている瞬間は、その瞬間だけでも主人公感はある。
という話。わかりやすい整理だなーと。
(こちらも実際の言葉どおりでないし不正確だと思います。)
自分が主人公であると思えると人生に満足できるし、逆にそう思えないと辛くなることもある。だれもが主人公でいられる社会がいいよね、そのためにどうしたらいいんだろう?といったスタンスで対話が繰り広げられている。
この話を聞きながら、ぼくが好きでやっている、「podcastで人をゲストに呼んで話を聞く」行為について考えていた。podcastのみならず、普段ひとと接するときにも、ぼくは人の話を聞くのは好きな方かもしれない。もちろん、おもしろいと思うから聞いているわけだけだし、つまらないと思って話題を変えてしまうこともあるけれど。
仮に、会話のなかで話し手を主人公だと定義すると聞く側はAやBではないけれど、自分が話を聞きたいと思う人の話を聞く行為は、A~Dの要素のうちCに近いし、その内容がおもしろくて、興味を持って夢中でその人の話から学んでいる感覚になっているときはDにも該当する。
また、あるpodcastのパーソナリティでは、ゲストを自由に決めていいよと言われていたので、裁量の余地が大きいという点ではAやB的な要素もあるかもしれない。
話をする側は、自分の話をしているから、主人公感があるんじゃないかなと思うし(ぼくも話し手になることがあるのでそう思う)、聞いてもらっているうちに逆に相手に興味を持って、相手の話を聞きたくなったら、気になる話を聞く主体としてDの主人公感も得ることになるかもしれない。
そういう意味で、興味を持った人の話を聞いてみて、やがて両者で聴きあう時間を作りだすという行為は双方の主人公感を生み出すんじゃないかなと思った。
あと、これはリスナーも含めてなんだけど、(聞いて)自分の頭で考えるという行為に関しては、常に主人公なんだよな。