考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

久しぶり。   22/50

 

 

宿直の日。

それまでに終えたい作業もあるので今日はさくっと。

 

 

久しぶり①

 

昼に連絡があって、知り合いのお坊さんが奈良に来るというので久しぶりに会って、一緒に車で15分くらいのところにあるお寺へ。

 

一度行ったことのあるお寺なんだけど、仏像の説明書きなどを外国人のそのお坊さんに(わかりやすい日本語で)説明するなどしてると、日本人と一緒に行くよりもちゃんと知ろうと思えるから勉強になる。

 

そのお坊さんに、服報という言葉を教えてもらった。日本にはないことばだ。

穏やかな気持ちで、態度も落ち着いていること、

状況が悪かろうと良かろうと満足していること、

などを意味する言葉らしい。そのような感覚を常に持っておくのが大事らしい。

 

悪い状況は自分を鍛えるチャンスだと思えばよいらしい。

それもそうだ。これまでも人類は、大変な状況でいろいろと学んできたんだから。

 

仏教は哲学という人はいるけれど、仏教は生活なのだと、そのお坊さんは言っていた。

生活の中で常に念頭において実践すること、それに沿った生き方をするのが良いとのこと。

 

哲学っていうと確かに、頭のなかでの考え事というか、”思想”的なニュアンスが僕にはあるけれど、自分なりの哲学を生活で常に実践するようにすればそれもそれでいいんだろうな。

 

 

 

 

久しぶり②

 

こちらは大して久しぶりではないんだけれど、昨日noteを書いた。本当は昨年書きたかったやつ。50日間、毎日noteかはてなぶろぐに書くことに決めたけど、ブログの方が落ち着くのでnoteはあまり書いていない。10日くらい間が空いた。

 

noteはなるべく綺麗に、というか、トゲを落として書くようにしているんだけど、

本当は、「薬をほとんど使わない治療」があるんだよっていうことをn=1でしかないけど、強く伝えたかった。

精神科の薬に依存的になってしまっている人が周りにもずいぶん多いから。

 

 

note.com

 

 

メンタルのしんどさを、服薬で乗り越えることも本当の緊急時には大事だけど、しんどいことを抱える力をつけるのはもっと大事って思う。

 

生きていれば、しんどいことはまた何度でもあるから。

 

人に話を聞いてもらうでも、本を読むでも、ゲームをしてやり過ごすでもいいし、

とことん考え抜いてみるっていうのも意外と良かったりする。

 

紙に書きながら、自分のしんどさとか、過去の恨みとかトラウマのようなものを徹底的に吐き出して可視化してみることでふっきれることもあるんだよな。

 

最終的には、傷を負った自分を引き受けて生きてくしかない。

 

最近読んでいる

「聞くこと、話すこと。」(大和書房,2023)という本のなかで、坂口恭平さんがこんなことを話している。自殺したい人の電話相談「いのっちの電話」でのかけてきた人との関わりかたについて。

 

「過去を掘り下げるカウンセリングで『自分と向き合う』ことだけがいいとも思えない。向き合うのは今の自分だけだと思っているから。俺は自分の今とはちゃんと向き合わさせるけど、過去のことはどうだっていいじゃないかと思っている。(後略)(p201) 

 

これを読んでいて思ったのは、自分の過去に向き合うんじゃなくて、過去に傷を負って、その傷が疼いている今の自分をどうするかが大切だってこと。

 

疼くときもあれば、案外健康な日もある。

そんな予測のできない自分とどう付き合っていくのかを考える、そこに時間をかけることが大事なんだと思う。

 

何度も何度も過去を振り返って痛みに慣れることで、穏やかになっていくこともあるけれど。

 

 

今日はこの辺で。

 

過ぎ去った痛みを忘れずに、教訓にしておくことも一方で大事なんですよね。