考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

セミフォーマル的なサポートが増えたほうがよいのでは。

 

50日連続投稿、昨日早めの振り返りをしてしまったせいか、油断して忘れていた。

 

まだ終わってないんだった。

 

今日は、ちょっと考えていたことのメモ程度に。

 

今僕は、オンラインコミュニティで、生きづらさを抱えた人や精神的にしんどい人どうしが支えあえるような仕組みを作ったりしている。もともとの友人や知人から少しずつ参加メンバーを広げていっている。

 

やってることは、具体的には、 

discordでの毎日のやり取り+自由参加の頻度高めのグループ通話

 

内容は、ただの雑談だったり、悩み相談だったり、日による。

ただの雑談が結構大事だと思っている。

 

参加メンバーには、僕も含め鬱の経験者が多いし、精神科や心理士さんのサポートを受けた経験のある人が多い。

 

一方で、僕なんかは鬱になる前は対人援助職をがっつりしていたり、臨床心理学を学部で学んだ経験があったり、精神保健福祉士の資格を持っていたりする。

それなりにメンタルヘルスの知識はあって、そのおかげで鬱からの立ち直りも早かったと自負している。

 

 

今僕が趣味でやってるオンラインコミュニティは、セミフォーマルソーシャルワーク(あるいはケア)と呼べるんじゃないか、ということをふと思った。

 

制度の枠組みのなかで専門職が誰かを支援しているわけではないけれど、家族や友人などのサポート(インフォーマルサポート)、というのとも少し違う。

 

 

もちろん家族や友人で、知識を身に着けたり資格を有したりする人もたくさんいるわけだけれど、

一定の専門性をもった人間が、仕組みを作った上での相互のケアをするのは、ややフォーマルよりの、セミフォーマルなケア、と呼んでもいい気がする。

 

 

そして、精神保健福祉士の資格取得の過程で学ぶレベルの、メンタルヘルスの知識は多くの人が身につけた方が良いと思っている。

 

 

それによって近くの人をサポートしやすくなるのもあるけれど、自分自身の状態把握や、状態をいい状態に持っていくことにも役立つ。(僕はそれができていたり、たまにできていないときがあったりするのだけど、知識がないよりあったほうが良かったのは間違いない。)

 

 

多くの人が自分のメンタルの状態をそれなりに良好になることを目指して、自身の環境調整や習慣づくり、必要な時に人を頼るなどをできるようにして(たとえ専門知識があってもメンタルケアは自己責任ではダメで、ちゃんと人を頼るのが大事)、自分の人生に一定程度満足できるようにしておけば、誰かを恨んだり、攻撃したり、妬んだりすることが減って、もし余裕があれば困ってる人を助けることに目がむくんじゃないかな、というようなことを考えている。

 

 

おしまい。

5分過ぎてもうた。