考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

疲れと感傷

最近はnoteにばかり文章を書いていて、久しぶりにこちらで。

 

心がすさんでいるときとか、丁寧な文章を書けないときに僕はnoteではなくはてなブログに書く傾向があって、なんだかはてなの読者の方ごめんなさいって感じなのだけど、それだけ(勝手に)安心して書ける場所ということで、甘やかしてもらっている。勝手に。笑

 

 

ここ数日、とても充実した日々を過ごしていて、

昨日も友人と森ノ宮のお笑いライブを見に行ったり、小学生の頃の友人と10年ぶりに会って天王寺のてんしばで話したりして楽しかったのだけど、今日すごく感傷的になってしまっている。

 

昨日の昼、ずっと前から感謝を伝えたいと思っていた、

母校の高校の倫理の先生にお礼をしたくて、連絡先を教えてもらえないか、お願いしに母校に行って、その先生とつながりのある別の先生に僕の連絡先を託した。

 

高3のときに、倫理の定期テスト自死についての作文を書く機会があって、当時心がすさんでいた僕は、母が僕を生んだ半年後に自死をしたこと、それを中学の頃に初めて知って、今でも考えると辛くなることんどを正直に書いたら、その先生が親身に話を聞いて受け止めてくれたうえで、他の生徒に匿名で作文を公表していいかと聞いてくれた。、ああ、ずっと隠していたこの経験は、他の人が考えるきっかけとして価値を持つのかも、と思えるようになって、そこから、少しオープンにできるようになっていた。

 

その先生の倫理の授業で配布された13年前、僕が高3だったときのプリントはノートに貼って今でも保管をしていて、昨夜、読み返したら、当時の高校生の、友人や、顔見知りの人たちの哲学的なテーマにまつわる作文とか、ひとりひとりにとっての幸福とは何か、とか、そういったことを書いた文章が出てきて、最後の授業で配布されたプリントには、贈る言葉と題した先生のメッセージや、先生の好きな著名人の言葉がたくさん書いてあって、読んだら泣けてきた。

 

最後にあるのが、河瀨直美さんの2006年のグランプリ受賞のときの言葉。

私たちの人生にはたくさんの困難があります。お金とか服とか車とか、形あるものに心のよりどころを求めようとするが、そういうものが満たしてくれるのは、ほんの一部。目に見えないものー誰かの思いとか、光とか風とか、亡くなった人の面影とかー私たちはそういうものに心の支えを見つけたときにたった一人でも立っていられる、そんな生き物なのだと思います。

その下に、先生の手書きで、「どこにいても、元気でね」って書かれている。

 

そうそう、人生って困難で。

 

高校のときも、すごくつらくて。

父と2人暮らしの間は、なんで自分は家帰ったら誰もいなくて、毎日一人でご飯作って食べてんだろうとか、

 

他の人は親に洗濯してもらってるのに、自分は洗濯を自分でしないとあかんくて、それを忘れてたらその日の体育で使う体操服がなくて、朝急いで洗って持っていって、乾かすために教室の窓の外にかけて干してたら先生に怒られたりとか、

 

高3で、ばあちゃんと2人で暮らすようになっても、結局勉強のことばかり言われて、家でも落ち着けないし、受験のプレッシャーも強くて予備校にいてもしんどくなるし、

 

ああ、当時もいろいろしんどいものを抱えていたよなあと、

今更ながら、13年たって、30歳になったのに、

ああ、あの頃のしんどさ、まだ消化できてなかったのかも、なんてことを思い出していた。

 

思い出さなくて良かったのかもしれへんけど、思い出してしまうよね、時間ある時に、こういうことすると。

中学のしんどさなんて、もっとひどかったから、恐ろしいんだけど。

 

 

ずっと忘れて、他のこと考えてきたけど、30歳の休職中のモラトリアム期間に、整理しておこうかな。どうにかして。

一度昔に立ち戻って、そこから再スタートできたらいいな。