宿直
友人が体調不良で、ピンチヒッターを頼まれて、前職の障害者支援の現場の宿直に4ヶ月ぶりくらいに入ったあと、 法事のために父親の家に向かう電車で書いている。 最近ちょっとTwitter依存気味になってしまってたので、あえてTwitterじゃなくて少しハードルの高いブログに書くようにしてる。毎日。
何かに依存的になってしまったときは、ハードルを上げて義務化すれば嫌になってそのうちやめるんじゃないかということを思った。
タバコ依存の人は、一箱吸ってたのを毎日2箱吸うのをあえて義務化してしまえばそのうち嫌になって吸わなくなるんじゃないか。しらんけど。
鬱になって働けなくなってたし、転職前の福祉の現場の職場で働くイメージも全然持てなくなってたけど、案外行ってみればマインドが元にもどるというか、正社員として5年間そこで働いてたときと似た気持ちになって、普通に働けた。場所や環境が人を変える。
もちろん忘れてることも多少はあるけど、身体介助とかは体が覚えているから全然問題なかった。
久しぶりの宿直室はさすがに寝付きは悪くて夜はあまり寝れなかったけど。
利用者さんたちも、変わらずみんな元気で安心した。
知的障害の人たちって何年も何年も繰り返し同じ話を(好きな話だから)するんだけど、それも全くかわってなくてほんとにおもしろい。
これからも時々宿直には入らせてもらおう。
風呂場にかわいいイラストがあってほっこりした。
好きな低山
standfmのライブ配信をノルマ化して3日に一回やっていて、お題を募集したらある人が好きな低山について話してほしいといっていておもしろかった。
好きな低山…
お気に入りの山はいくつかあるけど低山って呼べるほどではない。
低山っていうと、関西だと天保山とか?奈良の大和三山あたりも低山かな
札幌の方にあるモエレ沼公園の山みたいになってるところも好きだった。360度見晴らし放題。
大学の頃、1年ほど付き合った人と別れたあとで一人旅で北海道に行ったときによった場所。
たしか9月頃で、当時はかなり涼しかった記憶があるんやけど、今はそこも夏は暑いんやろか。
昭和の広告
最後ちょっと関西弁にしたのは、昨日図書館のイベントで開高健さんの話を聞いたのを思い出したから。
サントリーの委託先としてサン・アドという会社を開高健が作る前後の話がおもしろかった。
壽屋の時代に入社したんだね。
1950〜60年くらいだったと思うけど、当時のトリスの広告がおもしろかった。
セパ両リーグの球団のことをひたすら話したあとで、「野球観戦はトリスとともに。」
的なフレーズを入れるだけ。
ただ野球ファンの気を引いて喜ばせて最後にトリスのことを言えば野球ファンにとってのトリスのイメージが上がる。
戦略的だなと思う。
ちなみに当時開高健は、広告コピーを作る仕事と並行して小説を書いていて、広報戦略が重視されすぎて商品自体の価値が問われなくなってしまうビジネスの末路を描いた小説を書いたというからおもしろい。
当時の広告って、今以上に個人の本音を代弁しながら消費意欲を煽るようなコピーが多くて、そういうコピーは僕は結構好きなんだけど、そういう率直な表現が愛されて消費意欲に結びついたのって、作って消費して経済を回すことが美徳とされた時代背景ゆえなんだろうな。
でも今も別のジャンルでは応用できる戦略かもしれない。