考え事と生活の記録

とりとめのない日々の記録です。

3本ブログを書く日 ①お金って「限りある資源を自由に使える権利」なんじゃないの?

 

先月に引き続き、また体調を崩した。

先月末は、結局病院にはかからなかったけどインフルっぽい症状で1週間くらいしんどいのが続き、

今回は早めに治したいと思って病院へ。検査の結果、コロナでもインフルでもなく、風邪のよう。とはいえ、だるいものはだるい。

 

だけどやっぱり、薬を飲むと結構すぐにマシになるものだ。

まあ、あんまり毎回薬に頼りたくはないけど、非常勤で働いている手前、休んだ分だけ収入が減ることになって、それはそれでちょっと焦るので。

 

 

 

5月6日まで、50日連続投稿をしようと決めたものの、27日に書いたのを最後にブログもnoteも書いていなかったので、今日は、28日、29日、30日の分ということで、3本書く。

 

そんなのアリかよ、連続になってないじゃん!っていうのと、

そもそも、自縄自縛みたいに、勝手に自分で決めたノルマにそんなに捉われんでもよくない?

っていう思いがあって、そのあいだをとっての、妥協策。

書かなかった日の分は、あとからまとめて書いてもOK、ということにする。

 

「書く」ことに関して自分が決めたことは、ある程度はストイックにやっていきたい。

ある程度。

 

ということで、頭が若干だるいなかで、書いているわけだけど、

前から書きたかった、「お金」についての自分なりの考え方を書いてみる。

 

 

お金って「限りある資源を自由に使える権利」じゃないの?

 

某政党の裏金問題とか、ギャンブル依存の人から流れていったお金とか、

まあ、庶民からしたら天文学的(ってのは言い過ぎかもだけど)な単位のお金の話題がメディアを賑わせている。

 

僕はといえば、どうも昔から、お金を稼ぐよりも節約の方が楽しいと思う性質で、もう何年も前から、やった方がいいんだろうなと思っている投資さえ、いまだにまともにやれていない。

 

自分にはそのモチベーションがこれから先も湧かないんだろうなと、半ばあきらめている。

 

まあ、その代わり、時給の良い仕事を求めることは、自分に許しているのだけれど。

 

 

経済ってのは、たしかに大事だろうと思うし、停滞すれば、貧しい層の人がダメージを受けやすいのも事実だろう。

だから、「経済を回す」っていうことが、資本主義社会にとって、大事なことだというのはある程度わかっているつもりだ。

 

ただ、コテンラジオの深井さんもよく言っているように、どうしても、利益を追い求めることを第一の目標にすれば、非倫理的なことがたくさん起きてしまうし、お金儲けが得意な人とそうでない人のあいだの格差が広がってしまう。

 

 

お金を稼ぐのが上手な人や、優秀な投資家が全員、これからの社会をよくする方向でビジネスをしたり投資をしたりして、得たお金の余剰分をすべて貧しい層に寄付をすればいいのかもしれないけれど、残念ながら現実はそうはなっていない。

 

 

そういった現実を見たときに、やはり、政府が投資を促進するような風潮は自分には違和感がある。

 

貯金とか、自分の手元にある資産を増やすことが、多くの人が目指すことになっているのは、僕が子どもの頃よりはるか前からだから、それが美徳というのは、もはや常識になってしまっているけれど、そもそも、お金がいくらあったって、この世界の資源は限られている。

 

それは、物質的な資源もそうだし、人的な資源だってそう。まあ、つまり、労働力ね。

 

そういったことを思うと、お金=限りある資源を自由に使える権利って言えると思う。

この社会では誰が何にどれだけお金を使っているかがわからないし(それはとても健全なことだと思う)、それはつまり、限りある資源のうちどれだけを特定の個人やグループが使っているのかも見えないということ。

 

そういった匿名性のなかで、自分自身がお金をたくさん持っている、あるいは、稼ぐ/増やすことができるということは、自身の欲を満たしやすくなるという点で、よいこととされるし、簡単に欲を満たせる権利はみんなほしいから、それを持っていて、分けてくれそうな人に群がり、お金のある人に人気が集まる。

 

 

だけど、やっぱり、資源って限りがあるんだよね。

 

一部の人がそれを好き放題にたくさん使ってしまったら、お金をあまり持っていない人は、我慢を強いられるし、逆に、寄付をしてそのお金=限りある資源の使用権を、譲ってくれたら、多くの人がより満足のいく暮らしができる。

 

 

そう考えると、収入の多い人がうらやましいとか、自分も稼げるようになりたいっていう、たぶん、多くの人が感じているモチベーションって、なんなんだろうと思う。

 

もちろん、社会のために、自分がやりたい事業のためにお金を稼ぎたいとか、

病気の家族がいて、難病指定もされていないから自分が稼がないといけないとか、

養わないといけない人がたくさんいる、とか、必要な理由のためにお金を求めるのはわかる。

 

趣味ももちろんあった方がいいし、娯楽とか、旅行とか、そういうのも大事なのもわかる(自分もめっちゃ大事にしている)

 

でも、「(どこまでいっても)お金はあればあるほどいい」という感覚はいまいちわからない。

 

お金(=限りある資源の使用権)を、みんなが無限に求める社会って、成熟した社会とは呼べないよねって思う。

 

もちろん、あった方が嬉しいし、自分もほしいとは思うけどね。

「足るを知る」と、「足りない人に分ける」が大事なんだと思うんです。